脳を通って私が生まれるとき

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  • 日本評論社 (2016年12月19日発売)
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感想 : 1
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ゾウリムシやクラゲから始めて、エーデルマンのモデルを援用して意識について語ったもの。決して論理的に厳密な記述がされているわけではなく、どことなくつかみ難いものがある。しかし、相応に魅力がある本。ミラーニューロンの存在や言葉の模倣まで話が移ろい、ダマシオやチャーマーズのような人だけでなく、ヤスパース、フロイド、カント、スピノザ、さらにはアリストテレスまで登場する。

著者は、「表象意識が脳から立ち上がるのだとしたら、再入力の渦からなるオートポイエーシス系は、その優れたモデルではないかという考えに傾いていった」という。この考えは、本書でも何度も出てくるエーデルマンの考えからきている。
この本だけ読んでもよくわからないのだが、それなりに魅力的でもあり、エーデルマンについて少し知っておかなければならないなと思った。

表象意識についての注釈で、「表象とはその場合、ニューロン同士の再入力の関数として定義される何ごとかであり、大脳皮質の異なった機能系と機能系同士、視床と大脳皮質の機能系同士の間での大規模な相互関係を可能とする解剖学的構造の存在を前提とする何ごとかである。このエーデルマンの卓抜な発想は、解剖学的なディテールを除いてはマトゥラーナにすでにみられる」と書かれる。脳内における再入力の渦、外部からの被り、といったところを意識の本質に置く。
「表象意識は、外部刺激によって攪乱されることで明確なかたちをなすのであって、表象意識が鋭角的に明確な像を結ぶのはあくまで受身的であるといえる」

いわば、「表象生成装置は御者のような主体的な動きをする何者かのイメージとはほど遠く、一種の自動処理装置であることは間違いないが、それでもこの構想のもとでは、こころはこころ以外の部分と明瞭に境界づけられる現象であるといえる」という。それでも脳の一部分を機械に置き換えてもおそらくは意識をワークさせることができるだろうと仮定して、少しづつ置き換えていくとすべての機械に置き換わったときに私はいなくなるのだろうかという問い(思考実験)もその答えは示されていないが面白い問である。

最後の章にある、一元論としての還元主義、機能主義、二元論としての減少額と神秘主義、という分類は切れ味がある。エーデルマンや著者は一元論-機能主義の立場を取っているとのこと。

最後に「おそらく孤独は私にとって死に至る病なのである」- ここでいう「私」は著者個人ではなく、人類一般もしくは表象意識を持つもの一般といえる。

エーデルマンという人の名前はこれまで聞いたこともなかったが、少し読んでみよう。最後の章(第13章)の参考文献に本文では直接言及されていなかったが、トール・ノーレット・ランダーシュの『ユーザイリュージョン』が取り上げられていた。あの本はよい本です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学
感想投稿日 : 2017年6月10日
読了日 : 2017年6月4日
本棚登録日 : 2017年5月24日

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