日本現代怪異事典

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  • 笠間書院 (2018年1月17日発売)
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感想 : 36
4

戦後から執筆当時までの間に「実際に起こったこととして」伝わっている怪異について網羅した本。
50音索引のほか、出現場所、凶器、怪異の種類での逆引きもできる。
「怪異」とあるが、お話しとして怖がらせることが目的ではないので、単なる創作や有名なお話は載らない。しかし、元が創作であってものちに人々が本当のこととして語り継がれているものは掲載している。
つまり、現代における民話を集積し、記録したものになっている。

内容は、自分が小学生の時に夢中になって読んだ「学校の怪談」や大人になってからハマった「洒落怖」の話もあって、それが第三者的に解説しているのも面白く感じた。
また、話を掲載するだけではなく、同類の話の紹介や共通点、その話の初出などが載せられており、そういった点は民俗学的視点を感じた。(とはいえ著者はやはり怖いものやオカルトが好きという気持ちが高じてひとかどの人物になったんだろうなあ)

○定番の、かつて人/家族を殺した人がのちに子をもうけ、突然「おまえにころされた」/「今度は殺さないでね」と告発するお話は昔からあるようだ。
考察の紹介があり、昔は父と子の話から現代は母と子の話も出てきており、「かつて家長としての男性の立場と子に対する今日の女性の立場のありようが殺人者の性別の変容をもたらしたと考えられる」。
骨格が同じ話であってもそれが語られる時代や社会背景によって話の細部が変遷し、そこから当時の価値観を知ることができる。そういう視点をもって「怪談」を読むことは大人になってからも非常に興味深く面白いと思う。

○異界につながる電話番号系の怪異。
 111:線路試験受付の番号で音声信号が流れるためか。
 114:現在は電話の故障受付だが昔は電話機接続の作業に使われていた。
→時代の変化によって語られる番号が変わっていった可能性も考えられると考察されている。

○心霊写真を撮れる仕組みはもう知れてしまったという現実的な解説もちゃんと載せられている。しかし、体が欠損していると良くないなどどのように捉えられていたかは紹介されている。なんと明治時代から心霊写真はあったらしい。当時は「幽霊写真」と言われていた。

○昔、幽霊は誰にでも目視可能な存在だった。戦後の心霊主義の影響で「霊感」という概念ができ、幽霊を見ることができるのは霊感のある人に限られるという考えが新しくうまれた。 
これは知らなかったし、未知なるもの、人知を超えた存在への関わり方や対象そのものの変遷にも合わさっているようでとても興味深い。

○「走るバァさん」真っ赤な歯を見せて笑いながらバイクを追いかける老婆の怪異。 真っ赤な歯は歯が抜けて歯茎だけがみえたのだろうか、と考えた。自分で考察するのも面白い。

○一声呼び 人の名前やおーいの掛け声が1回だけなのは人ならざる者なので返事をしてはいけない。
これは三津田信三作品で知ったけど、ここでちゃんと解説されていて感慨深い。

○骨こぶり 墓を荒らして骨をしゃぶる少年の怪異。もともとある地方でホネコブリは葬式に加勢しに行く意味で使う言葉らしい。また、山口山口県など火葬の骨を噛む風習があったため、<墓場を荒らして遺骨を噛む怪談>に変化したのかもしれないと考察されている。ここでは飯島吉晴「子供の民俗学」を参考にしている。

○マグロの幽霊 市場で売られていたマグロが見た人間のもとに現れて追いかける。 こういう食用にしか見られないといっても過言ではない魚も怪異になるのだと驚いた怪異。

○かくれんぼにまつわる怪異 隠れている間にごみ収集車に乗せられ死んでしまったという話。 冷蔵庫で遊んでいた子供が閉じ込められて窒息死した事故が当時は実際にあり、こういったことが怪談に影響を与えたのではないかと考察されている。これはまさに怪談から当時の暮らしや社会が知れる例といえる。
焼却炉の怪談も同様のものがある。小学生のことは当たり前の光景だったけど、今考えると信じられないとまで思ってしまう。

○山姥の解説の中で、最後に「ヤマンバギャル」についても触れられていて、現代でもヤマンバという存在が我々にとって身近な存在なのだろうと結ばれているのがほっこりとしつつも目から鱗というか灯台下暗しというか、ハッとさせられた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 民俗学
感想投稿日 : 2022年2月22日
読了日 : 2022年2月21日
本棚登録日 : 2022年2月21日

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