サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

制作 : マイク・モラスキー 
  • みすず書房 (2013年10月26日発売)
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感想 : 35
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『サードプレイス』を読む。今、翻訳されて読まれるべきものなのか? 初版は1989、第二版は1996である。翻訳はペトロスキー『フォークの歯はなぜ四本になったか』(平凡社、1995)でおなじみの忠平美幸氏。もともと原題は「The Great Good Place」でコミュニティの核となるカフェ、コーヒー店、本屋、バー、ヘアサロン、その他だから「サードプレイス」の概念や限界もそう広いとは思えないのだが、解説まで含めて480頁はただ事ではない。社会学者レイ・オルデンバーグの情熱を傾けたテーマは我々にとってどういう意味があるのだろうか。

解説のマイク・モレスキーが言っているように、『サードプレイス』は米国の中産階級が失った共同体と豊かさゆえの自己疎外への厳しい批判と受け止めることはできよう。しかし、ノスタルジーに満ちた「サードプレイス」は実現可能なのか。もう、そんな居心地のよい場所は帰ってこないのではないか。スタバの擬似的な環境はどこかよそよそしく感じられる。

なぜ、マックやスタバがサードプレイスになりえないのか。日本の午後のマックは勉強する学生の溜まり場とかしているが、彼、彼女らは会話をしない。黙々と自分に与えられた問題を解いている。答えを相談できる大人もいないしコミュニティもない。

片岡義男が『日本語と英語』のなかでdinarを取り上げていたのを思い出したのだが、そこは「飯食って行け!」と言うけど「サードプレイス」にはなりえない一見さん相手の大衆食堂でしかない。孤独を癒す「サードプレイス」ではなく「腹を満たすところ」と現実的な英語表現が羅列されていた。

職場(第二の場所)に近いでわけでもなく、家庭(第一の場所)に近いわけでもない、通勤途中の居酒屋でニュースの話題に相槌を打ち、淡い連帯感やアノニムな関係の中に僅かの安らぎを求める人々の憩いの場はなくてはならないという主張は受け入れてもよいと思う。なにより、日本版の表紙の写真が西荻窪の南口の盛り場の風景であるのだから。

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感想投稿日 : 2013年12月18日
本棚登録日 : 2013年12月18日

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