宮沢賢治詩集 (岩波文庫 緑 76-1)

制作 : 谷川徹三 
  • 岩波書店 (1950年12月15日発売)
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5

 心象のはひいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり
 のばらのやぶや腐植の湿地
 いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
 (正午の管楽よりもしげく
  琥珀のかけらがそそぐとき)

宮沢賢治の小説は苦手だが、詩は好きだ。「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」もいいが、「春と修羅」が一番好きだ。何を言っているのかはわからないのに、何が言いたいのかはなんとなくわかる、この不思議な言葉の連なりが好きだ。

 いかりのにがさまた青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾(つばき)し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
 (風景はなみだにゆすれ)

『銀河鉄道の夜』から連想される、聖人君子みたいな賢治はここにはいない。ここにいるのは、潔癖さゆえのフラストレーションに悶える、ひとりの孤独な青年だ。遠くに聞こえる雷鳴のような、青白い炎のゆらめきのような、何かひとつでもバランスが崩れれば今にも荒れ狂いそうな、破滅的なエネルギーの予兆。

 ああかがやきの四月の底を
 はぎしり燃えてゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
 (玉髄の雲がながれて
  どこで啼くその春の鳥)

荒ぶる魂は、ときに文法や文脈をも破壊する。しかしその逸脱に、私はほとんど本能的な悦楽を覚える。形式上は破綻しているそれらの言葉は、交響曲のように重なりあい、響きあって、ひとつの世界を形成しているのだ。これが計算に基づくものなのか、感性によるものなのかは、私にはわからない。しかし賢治のように、既存の言葉を破壊してなお、言葉によって人に感銘を与える者がいるとすれば、それは「詩人」と呼ぶよりほかないではないか。

 まばゆい気圏の海の底に
 (悲しみは青々ふかく)
 ZYPRESSEN しづかにゆすれ
 鳥はまた青ぞらを截(き)る
 (まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる)
 ………
 ………

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 近代日本文学(大正-)
感想投稿日 : 2018年6月2日
読了日 : 2018年6月2日
本棚登録日 : 2017年3月31日

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