新書345 第四の消費 (朝日新書)

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  • 朝日新聞出版 (2012年4月13日発売)
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第一の消費社会(1912-1941)
日清・日露戦争に勝ち、第一次世界大戦の戦時需要で日本は好景気に沸いく。しかし強烈なインフレにより一般労働者の実質賃金は下がり、米騒動が起こるなど、貧富の格差が拡大。大資本は強化し、都市部での人口増加で大都市の大衆消費社会が拡大。
衣食住がモダンで文化的なことがよしとされた。大正の三大洋食「カレーライス・どんかつ・コロッケ」
白木屋:1920年(大正9年)11月1日に阪神急行電鉄梅田駅ビル1階に182m²の梅田出張店を開業。実験的に池上電気鉄道のターミナル駅ビルを賃借して約3万円を投じて五反田分店を出店して、分店を出店することの成否を1か月間で判断することになった。この五反田分店が順調に立ち上がったことから分店の多店舗展開が進められることになった。
*消費を享受するのは都市の中流階級以上に限定。多くの国民は貧困にあえいでいた。消費格差という矛盾を孕んでいた

第二の消費社会(1945-1974)
1955年(昭和30年)に社会党再統(日本社会党の統一)に危機感を覚えた財界からの要請で、それまで存在した日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生し、保守政党が第1政党となった。見かけは二大政党体制となったが、自民党の議席は2/3、社会党の議席は1/3 であったし、二大政党制の長所であるはずの政権交代円滑化に資することはなかった。自民党は「改憲・保守・安保護持」を、日本社会党は「護憲・革新・反安保」を、それぞれ標榜した。同年、日本生産性本部・日本住宅公団設立、56年、日本道路公団。マイホーム・マイカーに象徴されるアメリカ型の大量生産大量消費を追い求める。
・三洋電機が1953年に発売した洗濯機から日本国内の洗濯機の売り上げが伸びて普及し、このことから大宅壮一は1953年を家電元年と命名
・1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』として喧伝された。1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し戦後復興の終了を宣言した神武景気以降、輸出拡大で日本経済が急成長した時期

*人口動態特徴については検証したい

・普及しつつあった商品は生活必需品が中心で個性は求めず、デザインにこだわらず、隣の家と同じようなものを買った
・家族を中心とする消費。核家族化が進んだ時代。若い家族が子供の成長と共に物を買い換えていけば必然的にクルマも家も大きなものに買い換える。その中に団塊世代が組み込まれモノを買った。
⇒日本企業のマーケティング力は伸びなかった

・一般大衆は個性と言われてもどうしていいか分からない、というのが多数派
・73年のオイルショックを契機として一気に収束

<団塊の世代(だんかいのせだい)>:第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代。第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代。第一次ベビーブーム世代。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験。



第三の消費社会(1975-2004)
・消費の単位が、家族から個人への変化し始めた。「家計から個計へ」とも言われた。個人がひとりで食事をする「個食」対応の食品が登場
「軽薄短小」:日経ビジネスが生んだ時代のキーワード
1981年11月30日号より
《重厚さや長くて大きいものが尊重されたのは高度成長時代のこと。安定成長時代には「より軽く」、「より薄く」、「より短く」、「より小さく」といった要素が商品に強く求められる。
軽自動車、薄い香りの男性用化粧品、短時間のカラー写真仕上げ、小容量のビールなど80年代のヒット商品や成長期待製品は、実のところ「軽・薄・短・小」の商品なのである》

「パラサイト社会のゆくえ――データで読み解く日本の家族」作者名 : 山田昌弘

生産年齢人口【せいさんねんれいじんこう】
年齢別人口のうち労働力の中核をなす15歳以上65歳未満の人口層。これに対し15歳未満の年少人口と,65歳以上の老年人口を合わせたものを被扶養人口という。日本の生産年齢人口は2013年4月時点,7901万人で総人口の62.1%を占める。

・個人化とはひとりひとりの「こだわり」が強まること
・流行やマスコミにおどらされることなく、自分の好みにかなった生活のスタイルを創っていく志向。”豊かさのなかで個性的に”
・第二消費社会が実現した物質的な豊かさの上に、個性、自分らしさを付加していく時代として始まった

<3.量から質へ>
インスタントラーメン(消費社会的な大量生産品)も1981年に明星食品から「中華三昧」という「高級品」が発売。
単にブランド志向へと現れただけでなく、例えば健康志向。1970年代中頃からのジョギングブームは長期トレンドとして残っている。第三の消費社会も後半になると健康ブームを変質し、よりメンタルな健康を求める傾向が増加し「healing ヒーリング」
1990年代にアメリカで流行し日本にも波及してきた。
その流れから第四の消費社会における健康は「ホリスティックWholistic」全体という意味。不健康とは本来あるべき全体から何かが欠如している状態であり、その全体を取り戻せば健康になると考える。
全体とは身体、心身、生活の全体、行き方全体を見直さないと健康は得られないということ。

「ディスカバー・ジャパン 美しい日本と私」藤岡和賀夫
『従来の旅はややもすれば絵葉書型の目的地販売でありました。そうだと、それはテレビ情報と同じ次元の単なる観光に終わってしまいます。旅の喜びは自ら創る喜びでなければなりません。そこに自分自身が日本を発見し、又その中で自分自身を発見するといった旅でなければなりません。私たちがこのキャンペーンにDiscover JAPAN』と名付けたのはその意味であります。名もない田舎の埃にまみれた一本の道、そこにも永い歴史の道があったかも知れません。或いは幾多のドラマやロマンがその道を往来したかもしれません。汗の臭いや、収穫の歌が聞こえてくるかも知れません。そういったところに自分自身の足で立って見る、それが旅であり、Discover JAPANなのです』(「藤岡和賀夫全仕事Ⅰ」1988)

1972年 成長の限界:ローマクラブが資源と地球の有限性に着目し、マサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズを主査とする国際チームに委託して、システムダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしている。

有名な文として「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」

とある。これは時系列で考えると「人は子供が生まれてその子供がまた子供を生むので「掛け算」で増えていくのに対し、食料はある土地では年に1回それも同じ量しか生産出来ない、つまり「足し算」になるという概念に基づく(この文はもともとはトマス・ロバート・マルサスの『人口論』による)



<第2章>
第二の消費社会から第三の消費社会への変化
1.家族から個人へ
2.物からサービスへ
3.量から質へ
4.理性、便利さから感性、自分らしさへ
5.専業主婦から働く女性へ

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カテゴリ: ビジネス
感想投稿日 : 2016年11月6日
本棚登録日 : 2016年11月6日

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