奇子(上) (角川文庫 ん 11-29)

著者 :
  • KADOKAWA (1996年6月21日発売)
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本棚登録 : 890
感想 : 104
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個人的に黒い手塚治虫の代表作だと思ってる。大人向けと言い換えてもいいが……横溝正史や江戸川乱歩、松本清張の作品に親しんだ読者には馴染み深い世界観。
地方の旧家を牛耳る父、嫁を寝取られる長男、復員兵の次男、そして生まれる不義の子……扱われる題材は愛憎泥沼ドロドロのごった煮。
ウチの高校には奇特なだれかが寄贈した手塚治虫コレクションがあり、「奇子」もその中に含まれていたのだが、学生の時に読んで衝撃を受けた。
余すところなく人間の醜悪さや業の深さを描き切った作品であり、本作中もっとも無垢な存在たる奇子を襲う惨たらしい運命には胸が痛む。奇子という名前がまた象徴的で、常道から外れた出生への皮肉すら感じる。
この作品の登場人物(特に男性陣)の身勝手さたるや、目を瞠るものがある。
時代性も関係するのだろうが、各々が各々の大義や欲望に忠実に動いた結果、奇子は翻弄され続ける。だがこれはただ奇子が可哀想なだけの話じゃないし、単純な悲劇では終わらない。
大人たちの、もっと言ってしまえば男たちの欲望に振り回され続けた末にいたいけな幼子はファム・ファタールへ変貌を遂げ、今度は男たちを振り回す側にまわる。勧善懲悪ではないが因果応報ではある、この構造が劇的に見事。
地下に閉じ込められた奇子が一人で用を足すシーンや、天窓の小鳥にはしゃぐシーンは胸が詰まる……
深読みすれば奇子の無意識下の復讐ともとれるが、ラストの坑道のシーンで、ただ一人奇子だけがまるで母の胎内に回帰したような安らかな微笑みを浮かべてるのを見ると、なんとも形容しがたい感情がこみあげてくる。
やるせなさ、切なさ、悔しさ……ざまあみろと運命を嘲笑いたくなる痛快さ。

この底知れない読後感をぜひ味わってほしい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年3月28日
読了日 : 2020年3月28日
本棚登録日 : 2020年3月28日

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