自分に気づく心理学(愛蔵版)

著者 :
  • PHP研究所 (2006年4月10日発売)
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・高い自己評価を持ち、自尊心の健全な人はあまり傷つかない。しかし、低い自己評価に苦しみ、神経症的な自尊心の持ち主は驚くほど傷つきやすい
・基本的な誤解に、自分が他人に気に入られるために、他人に特別に何かをしなければならないというものがある。何もしなくても周囲の人は自分に好意をもっているというケースを想像できない。
・生真面目な大人は甘えたくても甘えを表現できないでいつも他人に対して気兼ねをしていることが多い。
・自分の本質を表現しないでいると、深い付き合いには至らない。
・甘えの欲求が激しいのにもかかわらず、甘えを自らに禁じて生真面目にふるまっている人には、人間としての魅力がない。
・甘えの欲求が満足されて、まじめにしている人は、そんなに他人の事に気兼ねしないし、この人々には人間としての魅力がある。その魅力というのは相手に確かさを感じさせるということであり、その人がいるというだけで意味を与えてくれるということである。
・甘えの欲求を満足させるためには、自分には相手の好意を受ける当然の資格があるという感じ方ができるということが条件である。
・執着性格の特徴の一つとして、よく責任感が強いというのがあげられる。これなども甘えの欲求を抑圧したことの反動形成と解釈できる。
・情緒的に成熟した人は、他人の好意をありがとうと素直に受け止め、喜ぶ。決して好意に接して落ち着かなくなるなどということはない。
・人は自分の自然の感情で生きることができれば、そう心の空虚さに苦しむこともないであろう。自然の感情で生きられず、つくられた感情で生きるから、生きていることに意味を感じなくなるのである。
・自信というのは、決して他人の評価から生まれてくるものではない。他人がそれほど高く評価していなくても、生きることを愉しみ、いつも気持ちの安定している人もいる。
・安心感は他人に干渉されることのない自分の世界を持つところからうまれてくるのであろう。
・自信のないひとは、心身ともに欲求不満な人を目の前にすると、自分の責任であるかのごとき感じ方をしてしまうのである。小さいころから「お前のために」と親の不機嫌の不当な責任を負わされてきたからであろう。
・他人の感情に責任を感じるのはおかしな感じ方。
・相手が満足していないと、それを自分の責任と感じてしまう。大切なことは、この習慣化してしまった間違った感じ方を変えること。
・俺は皆のことを少し考えすぎるからだ、という父親の家族に対する思い。これはこの主人自身の依存心なのだ。
・お世辞を真に受けたり、遊びの言葉を真に受ける女性というのは、隠された依存症を持つ神経症的な女性。プレイボーイのうそのだましの言葉をころっと本気にするというのはその女性が心の底で求めているものはその種の言葉だということである。つまり心の底の甘えの欲求にその女性は支配されて生きているのである。
・生真面目な大人が疲れやすいのは実際の自分を偽るのにエネルギーを使っているからである。
・救いのないのは、心の底でつらいと悲鳴をあげているのに、つらくない、素晴らしいと意識している人である。このような人が消耗し、やがて自己防衛に陥る。
・力強い自分、決断できる自分、頼りになる自分、愛することのできる自分、行動力のある自分、挑戦する自分、自信に満ちた自分になることが大事。
・あなたがしがみついている立派な自分というイメージは裏を返せば迎合する自分でしかない。立派な自分をあくまで立派な自分と主張するなら立派なことは生きることを否定することになってしまう。
・依存的なのに、愛情深いと思っているのだから、自分の変えようがないのは気をつけたい。
・幼児性をあるものはあると認めて自分がケアをする、それが本当の大人。
・信頼、親しさ、情熱、喜び、魅力など様々な人生の良いものは、実際の自分から目をそむけると同時に逃げていく。
・自分が言ったあの言葉を気にしている人は思いやりのない人。相手を思う心のゆとりがある人は、相手がもはや自分の吐いた言葉を忘れていると気づくはず。
・他人に心理的に依存しなくなって初めて他人の好意を感じられるようになる。
・他人が自分に好意を示すのは、他人にとっても喜びであり、決して他人の心の負担にはなっていない。
・小さい頃、自分は愛されていない存在だと情報不足の中で決め込んだのは自分だる。決め込んだのは自分である以上、それから自分を解き放つのまた自分しかいない。何の根拠もないと気がついた以上、今度は自分は生きるに値する存在なのだと自分で決めなければならない。自分は生きるに値する存在だと自分が決めること。
・自分が自分に対して優しい母親のようになること。決して自分に対して批判的になってはいけない。愛情欲求の満たされていない人は、批判的な親に苦しめられつつ育った人なのだ。
・恥ずかしがり屋の人は自分に対する最悪の批評家
・愛情欲求不満でない人も他人の期待にこたえようと勤勉に頑張る時がある。しかしそれは期待にこたえられないことが怖いからではない。それはあくまで他人への愛情である。
・小さい頃、愛情欲求を満たされることなく過ごした人は、自分は自分の第1の理解者であろうと本気で決意すること。本気で自分に優しくなろうとすることである。
・日常生活で自分にやさしくすること、日常生活で自分をよく世話すること、日常生活で自分が自分に甘えることを許すこと、日常生活で自分の面倒をよく見ることを忘れないこと。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: いずれ再チェックしたい本
感想投稿日 : 2012年3月3日
読了日 : 2012年3月3日
本棚登録日 : 2012年2月28日

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