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「松本清張他」となっているが、1992年に「現代」誌上で行われた7件の鼎談のうちの1件の鼎談者の1人が清張というだけ。テーマごとに違う人たちで鼎談している。殆ど、研究者2人に作家という組み合わせで、概ね作家(当該テーマに関した著作がある)が取り回し役になってうまくまわっている。「短詩形文学はなぜ日本文学の中心なのか」だけは、作家3人の鼎談で、一番焦点がぼやけて、てきとーなことばっかいってる感じ。「大化の改新は本当にあったのか」では、清張が張り合って、素人だから自分の説を学者が相手にしないのではないか、とか言っている。
「武家政権はなぜ天皇を立て続けたのか」は、今に続く権力の2重構造(というか、権力と権威の分離)についての話で興味深い。永井路子が、平安初期にすでにそれは始まっていたという“平安朝天皇機関説”を唱えて、藤原氏との関係を考えるとそれはとっても納得できる。首相になるよりもソーリ・メーカのほうが権力がありそう、みたいな現代の政党のあり方にも通じるのではないかと思わせる。ただ、権力の2重化は日本固有ではなく、現代の普通の(独裁とかじゃない)国家ではむしろ一般的なので、日本史の謎としては、その一方の極としてなぜ天皇家を一貫して保存し続けたのか、ということにあるのだろう。なんか気分としてはわかるが。新たに極を立てるには名目が必要だが、前からずっと、だと、考えなくていいもんね。
「薩長はなぜ徳川幕府を倒せたか」では、家茂に対しては幕臣・市民の敬愛が強かったのに対し、慶喜は一橋家から来たため一体感が薄かったのでは、という話が出てきて、へーそーなのかと思ったが、家茂だって紀州家から来てるわけだし、慶喜には敬愛の念を起こさせない何かがあった(あるいは、敬愛の念を起こさせるものがなかった)ってことで、「慶喜にとって不幸だった」というより本人の所為じゃないのかね。何しろ自兵捨てて大阪城から逃げた人ですから(そのことに全然触れていないのは不審)。
「太平洋戦争はなぜ始まったか」では、必要ではなく、バランスというかメンツのために、陸海両軍に同額の予算を配分していたという話が出てきて、今の省庁縦割りでメリハリを利かせられない予算編成と同じ問題を感じた。
「高度成長はなぜ可能だったか」は、まだバブルがはじけたばかりで、その後の20年に及ぶ低迷を知らないからだと思うが、なんかとっても楽観的なのが物悲しい。実際はそんなに遅れてるわけではないのに後進国意識をもって勉強し続けたことが高度成長に寄与した、という話が出てきて、「レベルは低いのに高いつもりでいる国も多いなかで、後進国意識を持ち続けている。」ことを評価しているが、なんか今はもう「レベルは低いのに高いつもりでいる国」になってしまったような・・・。ジャパン・アズ・ナンバーワンとか言われているうちに、後進国意識が薄れてしまって、実は遅れてきてるのに、それに気づかずいい気になってるうちにこんなになっちゃっていう気が。やっぱ、ほめ殺しってあるんですね、ってか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史(日本)
感想投稿日 : 2011年1月5日
読了日 : 2010年12月28日
本棚登録日 : 2011年1月1日

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