ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり―10 years after Any
(和書)2011年06月25日 20:04
磯崎 新, 浅田 彰 鹿島出版会 2010年1月
彼らは、寡頭性としてのエリート(民主主義への憎悪)なのか?それともアナーキスト的なのか?
浅田さん自身が、一切の諸関係を覆そうというのなら分かるけど、それにしてもちょっと衒学的だなーって思うことがある。でもそれは単に柄谷さんと比較してしまうとそう見えてしまうだけで実際は違うのかも知れない。
磯崎さんは、建築家だから言えることと思う部分がある。そういう視点を持てるのは羨ましくもあるけど、こないだのシンポジウムではアーキテクトという言葉がどういう使われ方をしているのかいろいろ示していた。アーキテクト批判(吟味)ということだろうと思う。本人がしているから超越論的ということか?
最近は、柄谷さんの本に書いてあった、抑圧されたものの回帰、互酬交換の高次元での回復ということを考えています。それは自分にも言えることだし、自分以外にも言える。柄谷さんがいう統整的理念は否定されても、執拗に否定されても、否定し抑圧されても、否応なく回帰するものだと書いてあった。回帰すると信じることが統整的理念なのだろう。
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- 感想投稿日 : 2020年9月26日
- 本棚登録日 : 2020年9月26日
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