本家ゴーマニズム宣言2

制作 : 梶原麻衣子(『WiLL』編集部)  構成・作画:よしりん企画  ブックデザイン:鈴木誠一デザイン室 
  • ワック (2011年11月22日発売)
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地震、ゴー宣道場、中国(というよりグローバリズムとかナショナリズムの話か)、皇室等の硬い話題が続いた後、最後に何故かAKBに関する鼎談。

いつも通り確立した個の下で公について考えるという立場は変わっていない。

ただ、原発に関する主張にだけは同意できなかった。

原発を否定する理由については、パトリと常識によるものなので、同意できなくはないが(それでも、原発を年代によらず全て同じと捉えている点は同意しかねるが)、原発の代替が火力だけで大丈夫というのは、明らかにあまり調べてないのが感じられて残念だった。地球温暖化の主張が、火力を否定し原発を推進するためというのは、いくらなんでも陰謀論過ぎる。

また、原発のリスクは技術で回避できないといいつつ、自然エネルギーについては日本人の技術力でどうにかなる可能性もある、と矛盾したことを主張するのは無責任に感じた。自然エネルギーは技術でどうになるけど、原子力はならないとはどうした言えるのだろうか。

そして一番同意できないのが、これまでの原子力の推進が、国や東電の私益のためだというように書かれている所だ。確かに、国や東電が原発に対して異議を唱えることができない空気を作り上げてきたこと、これについては批判されてしかるべきだし、腐った人間が多かったことも事実だろう。しかし、別に国も東電も、電気なんていうインフラで儲ける必要はない。彼らが原発を追求してきたのは、私益ではなく、あくまでもその時点での日本の資源状況と、技術的水準を踏まえた上で、国民生活及び産業(これもひいては国民生活)にとって最も有益(またはまし)な手段が原発だと判断したからである。汚い雰囲気を作り上げてきたのは、「原子力」のような穢れに触れ、常に無益で無責任な批判にさらされて来たことによる防衛的な反応によるものだろう。自衛隊、米軍基地、ごみ処理場、全部同じだ。

技術に関する意思決定は、時代の変化により常に過去の決定が妥当でなくなる可能性を秘めている。技術的には長くかかることでも、行政のように今日明日のことを行わなければならない場合、リスクに目をつぶらざるを得ないことがある。

「そのリスクの評価が過小だった。過去の決定は誤りだった。当時の人間は責任を取れ。」というのは簡単。でもそんな手のひら返しが常態化してしまったら、誰も責任を伴う行動がとれなくなってしまう。何もやらないのが最も責任ある行動という矛盾した状態になってしまう。本当にそれで良いのか。それが国家のことを考えることなのか。

今の原発に対する批判は、俺にはどうしても戦後の軍に対する批判と同じに見える。戦争論を著したよしりんであれば、そのことがわかるはずだし、それなら批判をするにしても仕方があるのではないだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2012年1月21日
読了日 : 2012年1月12日
本棚登録日 : 2012年1月11日

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