ここに描かれているのは、おそらく滑稽な喜劇なのだろうと思う。
登場人物たちはだいたいみな知的だし、理想を持っており、さらに日々の生活もきちんとしている。しかしそれでもなお、どうしてか、地に足がついていないのである。彼らはみな自分の頭でものを考えているにも関わらず、右往左往し、感情的になり、他人とすれ違う。ただ一人、本当に現実を見ているように描かれているのは主人公のマーガレットのみである。面白いのはそのマーガレットこそ、どうしようもなく他者の運命に飲み込まれ、やはり思うようにいかないところだ。
ただひとつだけ、しっかりと地に根を下ろし、何物にも飲み込まれないものがある。それが「ハワーズ・エンド」である。この家が持つある種の引力が、まるで見えない緩やかな軌道を描いているかのように、めぐりめぐってマーガレットを導くのだ。
私はこれまで、自分は芸術の話をしようとすると金の話になってしまうのは嫌いじゃない、と思っていたのだが、この本を読んでいて「そういうのはフィクションの中だけにしておくれ」とも思ったので、やっぱり嫌いなのかもしれない。自分は金の話ができると思っていたけれど、やっぱりできないのかもしれない。
そういう人間にとっては、本書は読んでいて楽しいだろう。しかしそんな私でさえも、この本を読んでいて「なんとお節介なのだ」と感じた。
それは、見ればすぐわかることをわざわざ言うようなお節介さである。つまりは、それ自体が皮肉なのだ。ご飯が食べられないと飢えて死んでしまうということを、人に向かって指摘すること事態が滑稽なのである。なぜならそれは誰にも自明だから。そこをあくまで真面目にやる「お上品さ」に耐えられないという人もいるだろう。
それでも自分は何かを知っている、という思いが溢れて暴走してしまうヘレンのくだりが、私はとても興味深かった。彼女の素直すぎる性格よりも、彼女が固執しているものに私は共感した。彼女の冒頭の手紙の中には、確かに「どこにもないけれど私たちが知っている」ハワーズ・エンドが書かれている。
「だから、この家はそうなんだってかまわない式の所ではなくて、眼をつぶると、やはりわたしたちが考えていた、長い廊下のホテルにいるような気がする。でも、眼を開けるとそうではなくて、それには野薔薇が綺麗すぎる。」
- 感想投稿日 : 2016年12月17日
- 読了日 : 2016年6月11日
- 本棚登録日 : 2016年6月11日
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