主客未分の経験は、主客の関係の成立を意識する「われ」をふくんだ経験です。わたしが意識していることを意識することができるのは、わたしの身に主客未分の出来事が起こっているということであり、それは仏法が見るものなくして見るというやり方で諸法を根拠づけているということである、と道元はイメージしているのです。Read more at location 566
「われ」でない不生不滅の仏法に根拠づけられながら、あくまでも「われ」として生滅しているとき、わたしは主客未分の経験の主体として生きています。仏法に逆らう「われ」であって、はじめて仏法を表現できるのです。仏法と渾然一体でありながらも、「われ」というあり方をしているとき、そこにおいて仏法のリアリティが表現されるのです。Read more at location 611
道元は、経験の内容のなかに経験の主体は現れない、といったことを考えているわけじゃありません。主客の関係の成立を、主客未分において考えているだけです。Read more at location 1128
道元における経験とは、立場を前提としない経験です。主客がないわけではありません。主客未分という、立場を前提としないような経験があるのです。Read more at location 1170
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Zen
- 感想投稿日 : 2015年1月14日
- 本棚登録日 : 2015年1月13日
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