歴史とは何か 新版

  • 岩波書店 (2022年5月17日発売)
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【まとめ】
1 現在と過去のあいだの終わりのない対話
19世紀の歴史家たちは事実を求めた。歴史哲学者によれば、まずは事実を確定しよう、その後で、事実から結論を導こうという態度が主流だった。
しかし、過去の事実と歴史的事実は違う。歴史的事実とは、歴史家が重要なものだと感じ、先験的に決定したものである。カエサルがルビコン川を渡ったことが歴史的事実だと決めたのは歴史家だが、他に幾百万の人がルビコン川を渡ったからといって、誰もなんとも思わない。つまり、歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬である。解釈という要素は、あらゆる歴史的事実に入り込んでいるのだ。

19世紀の事実信仰に根拠を与えたのは、史料の物神崇拝だった。史料のなかにあることは真実という考えである。しかし、いかなる史料――王令、条約、議会文書、日記――も、その筆者が考えた以上のことは教えてくれない。歴史家が史料に取り組んで分析し解読するまではなんの意味も持たない。

クローチェは、すべての歴史は「現代史」であると唱えた。その意味は、歴史の本質は過去を現在の目で見ること、現在の諸問題に照らして見ることであり、また歴史家の主なる仕事は記録でなく評価することである、ということだった。
また、オークショット教授は、「歴史とは歴史家の経験である。歴史を『つくる』のは歴史家以外のだれでもない。歴史を書くという行為だけが歴史をつくるのである」と述べた。

コリンウッドは『歴史の理念』の中で、歴史を考えるうえで見過ごされていたいくつかの真実を明らかにした。
①歴史家自身の思考、価値観を理解しなければならない
②歴史家が対象とするその時代の人々の思考、価値観を理解しなければならない
③過去の理解を果たせるのは現在の目を通して見たときだけであり、現代の思考や価値観に縛られざるをえない

歴史は純粋なままではわたしたちのところにやってこない。歴史的事実はつねに記録者の頭を通過して屈折している。そのため、歴史を学ぶ際には、まず歴史家を学ぶべきである。歴史の解釈の価値を十全に味わうためには、当の歴史家の心中を理解せねばならない。

歴史家の果たすべき役割とは何か。まず自分のテーマ、提起している解釈に関連する事実はすべて書き記すことである。そして、事実の客観的な編集と、主観的な目から見た解釈の相互作用によって歴史を形にすることである。歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのだ。


2 社会と個人
社会と個人はどちらが先か、という問題に答えはない。どちらも互いに必要で、相互補完の関係にあり、対立しているわけではない。
子どもの口にする言語、人間の思考、それらは個人的な遺伝でなく、育成集団から社会的に習得する。原始社会(=単純な社会)ほど均一性が強いとはよく言われることだが、社会の発達と個人の発達は相互的に発展していくため、近代社会になるにつれ個人化が進む、という単純な解釈をするのは危険である。

常識的な歴史観では、歴史とは個人が個人について書いたものと見なす。しかし、今となっては単純すぎて不十分だし、もっと深く考える必要がある。歴史家の知識とはその個人の排他的財産ではなく、多くの人々が何代にもわたって、また多くの国々の人が参与して蓄積したもの。歴史家が研究する人々の行動は、真空のなかの孤高の個人たちの動きではない。人々は過去のある社会の脈絡のなかで、それに推されて行動したのだ。

第1講では「歴史を研究する前に、歴史家を研究せよ」と述べた。それに、「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的・社会的環境を研究せよ」と追加したい。歴史家は一個人だが、歴史の産物、社会の産物でもある。歴史の研究者は、この二重の光のもとに歴史家を見ることができるようにならねばならない。

歴史家の研究対象は個人の言動か、社会的諸力の動きか?
歴史において重要なのは「個人の性格や言動である」と見る説には長い系譜がある。社会がもっと単純だったころはそれでよかった。しかし今日の複合性が増した社会においては違う。共産主義の出現をマルクスの頭脳に、ナチズムの台頭をヒトラーの個人的な邪悪さに帰結するのは誤りだ。
そもそも個人と社会を区別しようという試みが間違いなのだ。個人とは社会の一メンバーである。歴史家は不満を持つ一人の農民を考慮するわけではない。しかし、幾千の村に何百何千万の不満農民がいるなら、これは歴史家が無視できる要因ではない。

人間はつねに、または習慣的に、十分に意識した動機や率直に認めるような動機によって行動するわけではない。それに、無意識あるいは本人が認めないような動機への洞察を排除するとしたら、これは、わざと片目を閉じて仕事をするようなものだ。

歴史は「人の意図したことの説明/事情」をもとに書くことができるというのは、まったく違う。また、行為者自身の口にする動機の説明や、何故「みずから見積って実際の行動をしたのか」といった説明をもとに書くことができるというのも、まったく違う。歴史的事実とはたしかに個々人をめぐる事実だが、それは孤立した個々人の行動をめぐるものではないし、個々人本人がそのため行動したと考える現実的ないし想像上の動機をめぐるものでもない。歴史的事実とは、むしろ社会をなす個人と個人のあいだの相互関係をめぐる事実であり、当人たちが意図した結果とはズレて時には相反する結果を生じるような社会諸力をめぐる事実である。

歴史とは――歴史家のたずさわる調査探究と、その対象となる過去の事実という――その二つの意味のどちらも、社会的プロセスであり、これに個人は社会的存在としてかかわっている。社会と個人のあいだの対立関係とは幻だ。歴史家とその事実とのあいだの相互作用のプロセスは現在と過去のあいだの対話だが、これは抽象的で孤立した個々人のあいだの対話ではなく、今日の社会と過去の社会とのあいだの対話である。
過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになる。人が過去の社会を理解できるようにすること、人の現在の社会にたいする制御力を増せるようにすること、これが歴史学の二重の働きである。


3 歴史と科学
歴史は科学ではないという批判があり、それを要約すると次の5つが論拠として挙げられる。しかし、そのすべてが正しいわけではない。
①歴史は独特なことを対象とし、科学は一般的なことを対象とする。
→科学も歴史も同一のものは二つとない。歴史家はユニークのなかの一般性に興味関心があり、歴史家はつねに一般化によって証拠を検証する。ユニークと一般のどちらかが他方より優位だとは考えない。
②歴史は教訓を垂れない。
→①の一般化によって、歴史から学び、一連の事象の教訓を一連の事象に応用している。古典・歴史からの教訓は歴史のそこここで意識的・無意識的に伝授されている。
③歴史は予見不可能である。
→歴史家は一般化することで将来の行動に道案内をもたらす。かりに学校で2、3人の子どもが麻疹にかかったとすると、この感染症が広がるだろうと人は推論する。この予言は過去の経験からの一般化にもとづく指針である。
④歴史は人間が人間を考察するものだから、必然的に主観的である。
→現在の歴史家と過去の事実の間で相互対話が働き、歴史家の観点が観察対象に影響して修正を生じることがある。これは物理学における「観察者」の概念と同じである。ただし歴史は、人間が主体であり客体である点で、科学と少し違う。
⑤歴史は科学と違って、信仰と倫理の問題と密接に関係している。
→特定の歴史的事情の説明に神を持ち出すことはできない。歴史家は神というジョーカーを使わず、問題の意味を自ら考えなくてはならない。また、歴史家の仕事は、ヒトラーやスターリンにたいして――倫理的判決をくだすことではない。過去の個人の過ち・道徳でなく、過去の事象、制度、政策に対して判決を下すべきである。


4 歴史における因果連関
最近では、歴史の法則や原因を語らなくなり、代わりに説明や解釈、機能的アプローチ(いかに起こったか)のほうを好むようになっている。
歴史家は、原因の多様化と同様に原因の単純化もおこなう必要がある。

歴史とは歴史的意義という観点からする選択のプロセスである。歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出する。その歴史的意義なるものの基準は、歴史家がその因果の連鎖を自分の合理的な説明と解釈のパターンへと合わせてゆく能力のこと。歴史的な意義のない因果の連鎖は偶発的なものとして捨てられねばならないが、その理由は原因・結果の関係が違うからではなく、その連鎖自体が関係ないからである。


5 進歩としての歴史
古典的文明は基本的に非歴史的なものだった。過去という感覚はなく、未来という感覚もなかった。
歴史に意味と目的を与えたのはユダヤ教徒とキリスト教徒である。歴史にゴールの観点があるということは、そのまま歴史の終わりを意味する。歴史は神義論になったのだ。これが中世の歴史感であったが、ルネサンス期には人間中心の世界観と理性の優位という古典的な見方が復活し、歴史は、「地上における人間の状態の完成というゴール」に向かう進歩となった。

進歩の崇拝はイギリスの最盛期に絶頂に達したが、ロシア革命のころには「進歩」に否定的な意味合いが混じり出し、「西洋の没落」が論じられるようになる。

進歩という概念は何を意味するか、背後にどのような前提が隠れているのか。
啓蒙の思想家たちは歴史の進歩と自然の進化を同一視していた。しかし、歴史の進歩は数十年のスパンで起こるが、生物的進化は数千年のスパンで起こる。歴史とは習得した技能を世代から世代へ伝承することによる進歩であり、進化と進歩は根本的に異なる。
進歩には定まった始点と終点があると考える必要はない。文明とは発明や創作といったことではなく、むしろ無限にゆっくりとした発達プロセスであり、そこにときおり目覚ましい飛躍が起きる。進歩は中断も反転も逸脱もなしに連続的に前に進むものではない。前進のときも後退のときもある。

歴史的行動という観点から見て、進歩の本質的な内実とは何か。市民権を全員に拡張する、刑事罰を改正する、人種や貧富による不平等を撤廃するということについて、そこに進歩の仮説を適用したり、進歩の行動であると解釈したりするのは、歴史家である。行動をしている本人たちではない。

わたしたちの判断基準は、静態的な意味の絶対、すなわち昨日も今日も、そして永遠に同一であるなにかではない。わたしたちの過去の解釈は、進むにつれてつねに修正され進化するものである。歴史におけるこうした方向感覚によってのみ、過去の事象を整理して解釈することができ、未来を見定めつつ現在の人間のエネルギーを解放し組織化することができる。そうした過去を整理して解釈する行動こそが歴史家の仕事である。

歴史は過去と現在のあいだの対話である。より詳細に言うならば、過去の事象とようやく姿を現しつつある未来の目的のあいだの対話である。歴史家による過去の解釈も、その重要性や関連性の選択も、新しいゴールの姿が現れるのにしたがい、進化しながら見えてくる。


6 これからの世界
歴史家は、まだアジア・アフリカ革命の範囲と意義について評価を定める位置にはいない。アジア・アフリカの発展は、世界史の全体の見通し図における前向きの発展である。世界事情における英語圏全体の重みは確実に低下しているが、支配集団がこうした展開に目を向けようとも理解しようともしないのは問題である。

近代史が始まるのは、多くの人々が次から次へと社会的・政治的意識をもち、自分たちの集団を過去と未来をもつ歴史的存在だと自覚して、全面的に歴史に登場するときである。先進的な諸国においてさえ、政治的、歴史的な意識が住民の過半数ほどにまで広まり始めてから、まだせいぜい200年に達しない。

全世界を構成している諸民族が歴史のフルメンバーとして登場したとイメージできるようになったのは、そうした諸民族が植民地行政官や人類学者の関心事でなく歴史家の関心事となったのは、ようやく今日初めてのことなのだ。これはわたしたちの歴史観における革命である。

西ヨーロッパの外と歴史の地平が広がっていることに、歴史家は気づいていない。理性への信念が英語圏の知識人や政治思想家のあいだで衰退しており、加えて、世界は永久に動いているというかつて広く浸透していた感覚が消えてしまっている。世界が過去400年の間でもっともラディカルに変貌している今、そうした状態は無為無策である。将来、英語圏の歴史家、社会学者、政治思想家が課題に立ち向かうための勇気を取り戻す日を、わたしは待ち望んでいる。

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感想投稿日 : 2024年4月14日
読了日 : 2024年4月11日
本棚登録日 : 2024年4月11日

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