僕の人生には事件が起きない

著者 :
  • 新潮社 (2019年9月26日発売)
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【感想】
ハライチの岩井さんと言えば「腐り芸人」としてテレビで有名である。相方の澤部さんとともに「陽の澤部」「陰の岩井」というイメージが付いており、日常生活もさぞかし闇に満ちていそうだ。言いたいこと吐き出したいことをたくさん抱えており、書くネタには困らないと思われがちだが、そんなことは無いという。本文中でも、「自分の人生には特別な事件なんて起こらない」とこぼしている。M-1の決勝に5回も進出しており、テレビやラジオに多数出演している売れっ子芸人が「事件が起きない」なんて、そんなわけないだろうと凡人の私は思ってしまうのだが、これがどうやら本当らしい。中学時代、卒業式の前日に当時好きだった女の子に告白してフラれたことが、芸人になるまでの最大のエピソードとのことだ。

そんな普通の人生の、凪のような日常を編んだのが本書である。岩井さんの宣言通りただの日常生活が書かれているだけで、目新しい事件などは何も起こっていない。

だが、そうした一般人と何も変わらない日常も岩井さん独自の視点が加わることで、どこかクスリと笑えてしまう文章が出来上がっていく。「余談だが、生まれた時から勝ちが確約されているのに、自ら道を踏み外して奈落に落ちていく人間というのがまさに〝クズ〟だと思う」「同窓会を開く奴は私生活に満足しておらず、ただ同級生より上に立ったことを確認したいという理由で同窓会を開く」など、些細な人間模様に毒づく「岩井節」がところどころに見られ、平凡な日常に少しちくっとした面白さが加味されていく。「そうそう、こんな瞬間あるよな」というあるあるネタとして楽しめもするし、人並みの生活を少し穿った目線で捉え直すことで見えてくる面白さもある。

岩井さんが凄いのは恐らくその「視点」にあると思う。普段から「岩井節」によってナナメに物事を見ているからなのか、日常に潜むデコボコをそっと切り取って、「こんなことありましたが、どうですかね?」と読者に提供するのがとても上手い。日常のエッセイにオチは無いし、エピソードの〆も「僕はこう思いました」という感想程度で終わるものが多数だが、そうした些細な出来事が事件に発展せずに終わっていく様子が、まさに特別なことが起きずに一日一日が過ぎていく様子と似て、とても心地よかった。

それと、岩井さんは文を書くのが上手いなぁと思う。
本人は「僕という人間は『ぽい』だけで、ネタやツイッター以外の文章などを全く書いたことがない」と言っているが、ただ、書くからにはきちんと綺麗な文章を書きたいとか、やや高尚でしっかりした文を書きたいだとか、そうした意識によって変に力が入ってしまい、クセが残る文章を書きがちなものだが、そうした粗さがない。あくまで岩井さんの自由な視点でつらつらと文章を書いており、それが「日常エッセイ」のゆるい雰囲気にピタリと当てはまっている。読んでいてスッと頭に入ってきて、とても楽しめる文章だった。
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【メモ】
30代、独身一人暮らし、相方の陰に隠れがちなお笑い芸人がどんなことを考えながら日々の生活を送っているのか。やはり特別な事件は起こっていないかもしれないが、どうかこれを読んだ後、平々凡々な日常を送っていると思っている人でも、少しでもそれを楽しめるようになってもらえたらと思う。

なぜなら、僕の人生を振り返ると、全くもって〝波乱万丈ではない〟
中学時代、卒業式の前日に当時好きだった女の子に告白してフラれたことがある。驚くなかれ、なんとこれが芸人になるまでの僕の人生において最大のエピソードなのだ。どうだ、何でもないだろう。「ふーん」だろう。「うわ普通~」だろう。

余談だが、生まれた時から勝ちが確約されているのに、自ら道を踏み外して奈落に落ちていく人間というのがまさに〝クズ〟だと思う。

ハマると飽きるまでやってしまうことがある。〝飽き〟というのは恐ろしく、いくら好きだったものでも急に興味を削がれる。飽きなければ好きなことを延々とやっていられるので、どれだけ幸せだろうと考えたこともある。しかし、そうなると新しいものは何も生み出されず、人は進化をやめるだろう。飽きることで前進しているんだという結論にたどり着いた時、これからも〝飽き〟によって前進させられるのか、と思って、ちょっと疲れた。

本当に仕事と私生活に満足している人間は同窓会など開かないということだ。端から見て私生活と仕事が上手くいっていても、どこか楽しくないとか、満足していないとか、もっと人に認められたい人間が、学生時代の楽しさのピークを更新できていないからか、同級生より上に立ったことを確認したいという理由で同窓会を開くのだ。なので、楽しさのピークを更新していて、今を楽しんでいる人間は同窓会など求めていない。

澤部にファンがいなかったり、後輩に憧れられないのは僕が思うに、澤部の返しやリアクション、バラエティでの立ち振る舞いが全てどこかで見たことがあるものだからなのだ。他の芸人がどこかでやっていそうなことで成り立っている。なので「澤部のここがいい!」と思うと、それがもっと上手い誰かが存在するので、結果その人に憧れたりファンになったりするのである。澤部は誰かがやっていたことを吸収して、自分を通してアウトプットするのがとにかく上手いのだ。

だから、普通に生活している日常を面白がりたい。毒にも薬にもならないどうでもいいことが笑えたりする。それが少し視点を変えるだけで全然違うように見えたりもする。
芸能の世界で仕事をするようになってからずっと思っていた。僕の人生には事件が起きない。が、それと同じように皆さんの人生にもそんなに事件は起きていない。そして、テレビで見る芸能人の人生にもどうせ本当は事件など起きていないだろうと。それを皆、化学調味料で元の味などわからなくなるくらい噓のように濃い味付けにして提供してくるのだ。そんなものばかり食べていると、そのうち舌が馬鹿になる。物の味なんてわからなくなってしまう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年1月10日
読了日 : 2022年1月8日
本棚登録日 : 2022年1月8日

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