華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 SF フ 16-7)

  • 早川書房 (2014年4月24日発売)
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【感想】
傑作たるSFは、その設定がいかに浮世離れしていようとも、どこかしらで現代社会との接点を持ち、読み手に警句を与えるような内容になっている、と私は思っています。

本書は1953年に書かれた古典SF小説ですが、まさにその「傑作の条件」に当てはまっています。

例えば、ベイティー隊長の言葉。
「そして大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された」
「むかし本を気に入った人びとは、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。世の中は広々としていた。ところが、やがて世の中は、詮索する目、ぶつかりあう肘、ののしりあう口で込み合ってきた。人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画や、ラジオ、雑誌、本は、練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。わかるか?」

隊長の言葉は、現代社会における「情報」の扱われ方を的確に言い当てているのではないかと思います。人口が増え、情報の供給量が増大すると、スピードがぐんと上がり、咀嚼し終わらないうちに口に入るようになってきた。すると、情報のうち複雑で飲み込むのに時間がかかるものは遺棄され、大味のものしか残らなくなった。これはまさに、「大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された」事例だと言えるでしょう。

思えば、本書に出てくるテクノロジーは現代社会を鏡に映しているようです。ラウンジ壁はスマホ。巻貝はワイヤレスイヤホン。時速100マイルで疾走するカブトムシは、さながら刹那的な欲望を高速で発散させるためのSNSと言えるかもしれません。歩くときも寝るときもスマートフォンに没頭し、情報の洪水に身を晒す私たちは、ミルドレッドと同じ穴のムジナです。そんな私たちが本や新聞を「時代遅れの古いメディア」と言ってはねのけている今、まさに、フィクションが足元にまで迫っているのかもしれません。

――平和がいちばんなんだ、モンターグ。国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ覚えているか、競わせておけばいいんだ。不燃性のデータをめいっぱい詰めこんでやれ、もう満腹だと感じるまで「事実」をぎっしり詰めこんでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰めこむんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。

――さあ、これでなぜ書物が憎まれ、恐れられるのか、おわかりになったかな?書物は命の顔の毛穴をさらけだす。気楽な連中は、毛穴もなくつるんとした、無表情の、蠟でつくった月のような顔しか見たがらない。われわれは、花がたっぷりの雨と黒土によって育つのではなく、花が花を養分として生きようとする時代に生きておるのだよ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年12月5日
読了日 : 2022年11月19日
本棚登録日 : 2022年11月19日

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