一応族の反乱: 若者消費はどこへゆく

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  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (1990年6月1日発売)
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・絶対的価値が失われたからこそ、人は「一応」という相対的で留保付きの対応しかできなくなっているのではないだろうか。

・私は「社会」は信じないが「時代」は信じる者だ。「社会」は人間の勝手な思惑によって変容していくが、プリミティブな時代の流れは、社会の枠組みを超えて私たちのメディアを通して、あらゆるものの隅々まで静かに広がっていくと思っている。

・「女が強い時代は平和な時代」という言い方があるが、どうやら正確には「平和な時代は男が増えるから、逆に女が強くなる」という言い方なのだと思う。

・これまでの社会は、「社会が完全にシステム化されなかったことによって栄えたビジネス」と、「社会を完全にシステム化させるために栄えたビジネス」とがある。しかし、「社会が完全にシステム化された時のビジネス」というのは、まだない。

・子どもは大人になる理由を失っている。昔だったら、子どもは「大人になったらこれをやろう」という気持ちを持てたが、今ではそのような幻想はない。大人にならなければ出来ないものなどもはや何もないし、またあったとしても、決して魅力のあるものではないのだから。

・「仮装大賞」はおそらく普遍的に続く、アイデア表現ステージになるだろう。

・完全なものはない。絶対のものはない。それらが完璧にないと自覚したものだけが、今は「一応」という言葉を口にする。

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感想投稿日 : 2006年5月15日
本棚登録日 : 2006年5月15日

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コメント 1件

rcnさんのコメント
2012/05/16

本音を包み隠すときに「いちおう○○です」みたいに使ってしまいがちですね。タテマエとのズレに敏感な世代が使い始めた用法でしょうか。

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