なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

著者 :
  • 講談社 (2008年5月16日発売)
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 最近の日本では,確実に「バカ化」が進行している。筆者によると,その理由は,自分より優れたものに畏怖や敬意の念を持つ「リスペクト」という習慣を失ったからだという。本来,リスペクトしたいという願望は,成長とともに尊敬の対象を変え,自己形成していくが,その経験が乏しいと,自分の人格や人生に対して,相手に依存したり,責任を転嫁したりする傾向に陥りやすい。筆者は,こうした「ノーリスペクト社会」をどう克服するかが今の日本にとって大きな課題だと説明する。
 筆者が特に懸念するのは,大学生の向学心の無さである。学生は1960年代まで知的な読書をしていたが,70年前後の全共闘時代以降,その習慣を持たなくなった。こうした教養主義の没落には,日本の若者の「アメリカ化」が大きく影響しているという。アメリカの若者文化とは,基本的にカウンターカルチャー(対抗文化)であり,教養へのリスペクトを必要としない。ロック,性の解放,ヒッピー文化しかりである。とはいえ,日本の若者がアメリカ文化の全てを取り入れたわけではない。開拓者精神,独立心,個人主義などは,日本の若者文化には根づかなかった。すなわち,日本の若者は,大人社会に反抗しつつ,結局大きな制度にはぶら下がる生き方を選択してしまったといえる。
 そこで,筆者は,日本の旧制高校の制度に着目する。旧制高校の学生は,文理を問わず,哲学を根本的な基礎教養として共有し,それを修得して初めて,法律や経済や理科系などの専門に進学することができた。哲学的な思考は,自分を深く掘り下げ,時空を超えた本質的な問題に向かっていき,自分に何ができるのかを探求するために,不可欠な学問である。日本の高度成長期に活躍した経営者も,こうした学生時代をくぐり抜けてきたからこそ,経営哲学を身につけていたのだという。
 だからこそ筆者は,現在の大学生に対して,旧制高校出身者のように,精神的なタフさや,思考することを厭わないねばり強さ,勉強することを楽しむといった向学心を身につける重要性を説く。かつてマルクス主義が教養主義に大きく入り込んでいたが,自分の信奉する以外の理論を徹底排除し,学生を破壊的な行動に走らせすぎた結果,後の世代の思想に対する積極性をつみ取ってしまった。だから,現在の日本には倫理観を養う教科が存在しない。そこで筆者は,倫理観を再興するための「読書力」を重視する。読書を手段として,バランスのとれた判断力や粘り強さ,そして世界に通用する教養を身につけるのである。人は誰でも,リスペクトしたいという気持ちを必ず持っている。それならば,中高年世代には,若者へ「学びのあこがれ」を掲示する社会的責任があると,筆者は主張する。
 評者も,これまで一般教養科目に携わってきたが,準備期間の短さゆえ,ついつい自分の専門科目を押しつけてしまった嫌いがある。経済史という専門科目自体が,経済学と歴史学を折り合わせた基礎教養的科目だけに,読了後,学生の「リスペクト」に繋がるテーマを提供していく必要性を痛感した次第である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 一般教養・全学教育
感想投稿日 : 2012年3月1日
読了日 : 2012年3月1日
本棚登録日 : 2012年2月17日

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