日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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  • 筑摩書房 (2008年11月5日発売)
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 いま、この本を読んでおいて本当によかった。日本語話者は必読の書である。「日本語が亡びる」なんていっても、何をいっているのだそんなことあるわけないだろうと歯牙にもかけないのが普通の人の反応だろう。しかし、このままでは間違いなく亡びるだろうということがわかる。

 現代は、英語の世紀である。それは数十年単位の話ではなく、これから先、100年、200年と続いていくであろうことは厳然たる事実なのである。英語は世界で<普遍語>となったのだ。普遍語になるとはどういうことか。それは、「英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする人が増えていくこと」を意味するのである。英語の重要性が増すほどに、自国の言葉は影響を受ける。そのとき、自分たちの言葉が「亡びる」ということが起こる。ここで著者のいう、「亡びる」というのは、当然その言葉の最後の話者が消えてしまうという意味ではない。そうではなくて、かつて高みにあったようなひとつの豊かな<書き言葉>が忘却され低いレベルへ下降してしまうことである。そして、そのような<自分たちの言葉>が亡びるとき、<国民文学>も亡びることになる。

 <国民文学>は無論<国民国家>の存在を前提とする。そして、国民国家は<国語>を必要とする。<国語>というのは決して、自然発生的なものではない。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』にあるように、「出版語」が<国民国家>の言葉として固定されていくうちに、国語というものが成立することになるのだ。「出版語」とは、より高い叡智にアクセスできる上位の普遍語を<現地語>の書き言葉に翻訳することで、生まれたものなのだ。日本近代文学の礎を築いた文豪たちのほとんどが、同時に優れた二重言語者であるという事実を思い出してほしい。

「くり返すが、<国語>とは、もとは<現地語>でしかなかった言葉が、<普遍語>からの翻訳を通じて、<普遍語>と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である」(頁148)

のみならず、国語は普遍語と同じように機能しながら、母語の持つ特性を最大限活かした固有のものなのだ。社会で国語が流通すればするほど、話し言葉そのものも書き言葉としての規範に変化させていく。このようにして、国語はその起源が忘却され、あたかも自分のうちから自然と出てくるような言葉として認識されるようになる。結果、国語は必然的に自己表出の言葉になる。その国語こそが、近代文学を生んだのだ。

 「日本に近代文学があるのを可能にした条件は日本に<国語>があったことであり、日本に国語があるのを可能にした条件は日本に大学があったことであり、日本に大学があるのを可能にした条件は、まさに日本が西洋列強の植民地になる運命を免れたことにあった。」(頁201)のだ。

 翻訳という行為から生まれた国語。そして国語から生まれた文学がいま、終わりを迎えようとしている。その主たる原因はなにか
1)科学の進歩
2)文化商品の多様化
3)大衆消費社会の実現
である。
 現在、日本の文学の相対的な地位は、かつてあった高みから限りなく落ちぶれてしまっていることは、書店にいけば多少本を読む人間なら誰でもわかることである。<読まれるべき書物>は読まれず、みんなが読むような本を読む人が増えると資本の論理によって、必然的に低いレベルのものが市場に溢れることになる。自然状態では水は低きに流れるのが世の必定だからだ。そして、インターネットの登場というダメ押しによって英語の世紀は決定的になっている。英語の世紀になるとどういうことになるか、叡智を求める人、つまりエリートや、創作者は日本語を読まなくなり、しかも、英語で発表するようになるということである。そうした人たちが、国語を読まず、国語で発表することがなくなるということは、国語が現地語に成り果てる可能性がでてきたということだ。国民文学が現地語文学に成り果てる可能性がでてきたということだ。そうした日本語を守るためにはどうすればよいか?、著者は学校教育の改革を提言する。日本の国語教育はなによりももず、日本近代文学を読み継がせることに主眼を置くべきだという。規範となった国語を生み出した近代文学を多くの人に読まれることこそ、話し言葉としての日本語も外部の変化に耐えることができるからだ。英語は少数の選ばれた人が優れたバイリンガルになればいいのである。エリートでなくとも、特別な思い入れがあれば、英語を学ぶことは学校以外でいくらでもできる。だからこそ、いまこそ日本語教育こそを徹底させる必要があるのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学論
感想投稿日 : 2012年3月9日
読了日 : 2012年3月9日
本棚登録日 : 2012年3月9日

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