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自分が楽しむことは、決して人を傷つけない。人間は楽しんでもいい。ただ、小さい頃「楽しむな」「仕事をしろ」というメッセージをあまりにも受けたので、人によっては楽しむことに罪の意識を感じる。
自分が思っていることと違うことを、相手の要求のままにやることで、ねじれが生じておかしくなるということらしい。大人になって、癇癪を起こすわけにはいかないから、不機嫌になる態度で代替したりする。なぜそうするかというと、相手の要求を飲まないと、相手との関係が壊れるとか、そういう不安があるから。その不安は、子供の頃などに、ありのままを受け入れてもらえなかったという体験があるから、自らを繕おうとするから。主に、親との関係が良くなかったということがある。
自分の場合は、親が原因のところもあるかなとは思いますが、小学校・中学校の生活が酷かったせいでしょうね。就職して仕事をするようになって、いくらか自信を付けてきて、不安は払拭したと思ったんですが、根っこには不安はやはり居座っていて、自分の中のねじれは未だに解消していないように思います。
断るべきは断るとか、違うものは違うと言うとか、自分にウソを付かないこと。その積み重ねが、自身を成長させ、過去のトラウマから抜け出せる手段なのかなと思いました。
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- 感想投稿日 : 2018年1月1日
- 読了日 : 2018年1月1日
- 本棚登録日 : 2017年12月23日
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