地下室の手記 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1970年1月1日発売)
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感想 : 336
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2016.10.17
読んでて共感と醜悪さを感じた作品だった。前半は主人公の価値観の独白という形をとり、後半はその主人公が青年だった時の物語を独白するという構成になっている。前半では、人間の本性は理論などに還元できず、もっと非合理的なものであるということを述べる。これは当時のカントなどの啓蒙主義というか、人間はもっと賢くなれば自分にとって善なるものを追い求めるはずだ、正しく理性を用いれば正しく生きられるはずだという思想に対しての反論である。人間はそんな単純に、善のみを求めて生きていける存在ではない、それは理想、絵に描いた餅であって、現実はそうではないという。その考え方をまさに体現するかの形で生きた青年期が後半に書かれている。彼の病はまさに過剰なほどの自意識である。周りから自分はどう見られているか、もしくはどう見られたいかという過度の欲求が、はたから見たら全く理解不能な行動に取られてしまう。これは私も青年期によく味わったものである。人の目を気にしすぎる人間は、ある時は嫌われることを恐れて極端な逃避行動をとり、またある時は人に好かれたくて好かれたくて、妄想の中で英雄になるものである。ここには、人間の肥大化しすぎた社会的欲求が見て取れる。そしてまさにこの、過度の社会的欲求、人間と人間の関係に対する歪んだ望みこそが、人間を人間たらしめ、人間を不合理なものにならしめているのではないだろうか。そしてこの歪んだ欲求を生み出すのは、愛の欠如に他ならないのではないだろうか。キルケゴールは人間の理論や一般論に還元できない、各々のかけがえのなさとしての人間存在=実存の定義を、自己自身に関係すること、すなわち私はどんな人間なのか、私はいかに生きていくべきかを自分で自分に問う存在であることとした。私はこの小説を通して、人間の実存とは、他者との関係を通して自己との関係を問わずにはいられない存在、他者からの愛なしには愛されていない自分を愛することもできず、他者から価値を求められることなしには自分で自分の価値を認めることができない存在だと思った。悲劇なのは、では愛されるためにはと言っても、まさに自意識ゆえに適切な行動が取れないことである。他者との関係の中にありながら自己とも関係している人間の実存に対して考えさせられる作品であり、ドストエフスキーの転換点と言われるように、大作群にも見られる人間の醜悪さを感じた作品だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2016年10月17日
読了日 : 2016年10月17日
本棚登録日 : 2016年10月17日

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