日蓮の本弟子の一人、白蓮阿闍梨日興の思想を教学史の観点で研究したもので、「宗学全書興尊全集」(立正大学編纂)、「日興上人全集」(興風談所編纂)を研鑽する傍らに置きたい一書。

石山派において、日興は「久遠元初の三宝」の僧宝として信仰の対象となっているが、どういった人物で、どのような思想展開をしているのか明確に答えられる信者はほとんどいないと思う。

日興にまつわる伝説として、①久遠寺の別当に任ぜられ、第二祖となった。②他の本弟子5人と教義的解釈で論争した。③身延地頭波木井実長の教義逸脱により離山した。 が今もなお語られている。

これらの伝説は、現在の研究成果で何ら根拠のない言い伝えとされている。

①、有名な二箇相承は後世に創られた偽書とされ、日蓮も本弟子に上下を定めず不次第としている。日蓮の葬儀では別当であるはずの日興ではなく日朗と日昭が執り行い、日興自身は棺を担ぐ任であった。別当なら身延に常住しているはずが、墓所輪番の9月にだけ登山したのみである。

②、実際は、日向と他の本弟子5人との論争で、重須に移った後も日興は日昭たちと交流をしている。

③、波木井実長ではなく日向との確執で離山した。厳格な日興は弟子分与で破門した弟子は「義絶」と明記しているが、波木井実長は終生弟子としている。

また、宗祖本仏、曼荼羅正意、種脱判など石山特有の教義は、日興の思想には見られず、日有から始まり、日寛の時に理論としてまとめられたと考えてよい。

それでは日興の思想はなんだったのか。

その示唆を与えてくれるのがこの書だと思う。

偽書説の濃い種種御振舞御書を基に、謎の多い日蓮の生涯を丹念に精査した一書。龍口の会座の場面で、本仏論を匂わせる箇所があり興ざめた。
以前、山中氏に日蓮の阿闍梨号と弟子の諱について質問したが、次回作に譲るとされ未だに回答を得ていない。

2013年7月14日

読書状況 読み終わった [2013年7月14日]

不確定性原理、不完全性定理で神が存在しえないことが証明された、と言われても門外漢にはピンとこない内容だった。

それでも人智を超えた何かがあると思うことは、部分情報しか持ち得ない人間が、絶対情報を有する存在を恋慕するという古代シャーマニズムのDNAの所為なのか。

共感できたところは、仏教が中国に輸入された瞬間にタオのアプリオリに変換されたということ。

シャキャムニ滅後200年後に創作された「仏教のようなおとぎ話」である法華経をとってみても、鳩摩羅什訳ではタオ思想の本迹観が盛り込まれ、方便品の「十如是」は、本来サンスクリット語では「五何法」であるはずが作為的に異訳されている。

これでは天台の根本教理である「一念三千」は本当は「一念千五百」になるので、最澄らが知ったらびっくりするだろう。

インド思想<中華思想にしようとする意図が見え隠れする鳩摩羅什の名訳「妙法蓮華経」は、研究が飛躍的に進化した今、もう一度再評価をしなければならない。

般若心経が中国で創られたという箇所も面白かった。

お盆の由来が説かれた「盂蘭盆経」も中国で創られたもので、お盆といえば仏教と連想しがちだが、仏教とは全くの無縁であり、道教の教えである。

シャキャムニは、捨置記といって形而上のことをいたずらに説くことはなく、死後の生命や世界を説くこともなかった。

レビューの体になっていないが、最終章は読むに耐えない内容であった。

やはり天才といえども得意不得意はあるようだ。

2013年6月4日

読書状況 読み終わった [2013年6月4日]
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