アムンセンとスコット (朝日文庫)

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  • 朝日新聞出版 (2021年12月7日発売)
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 しあし、権力格差の大小はどのようにしてチームのパフォーマンスに影響を与えるのでしょうか? 南カリフォルニア大学の組織心理学研究者、エリック・アニシックは、過去五〇年分、五六カ国のエヴェレスト登山隊(計三万六二五人)のデータを集め、登山隊の出身国の権力格差と遭難事故の発生率について調査しました。この結果から、権力格差の大きい文化圏の登山隊の方が、他方の登山隊と比較して、死者が出る確率が著しく高いということが明らかになりました。ちなみに単独登山の場合、死亡率と権力格差になんの相関も見られません。これはつまり、死亡率の格差は、国別の登山技術や体格ではなく、純粋に組織的要因によって生まれるということです。
 権力格差の大きいチームでは、地位の低いメンバーが発言を封じられることで、彼らの発見、あるいは懸念、あるいはアイデアが共有されず、結果的に意思決定の品質が悪化するのです。これは、想定外のことが次々に起き、リーダーの認知能力・知識・経験が限界に晒されるような環境下では致命的な状況と言えます。
 一方で、アシニックの研究で非常に興味深いのは、
想定外のことが起きないような安定的な状況においては、権力格差の大きさは、むしろチームのパフォーマンスを高めることがわかってます。そのような状況では、リーダーの意思決定が上位下達され、一糸乱れず実施される組織の方がパフォーマンスが高いのです。これはつまり、リーダーの認知能力や知識・経験の範囲内で対処が可能な状況においては、権力格差の大きさはチームのパフォーマンスにプラスの影響を与えるということです。
 よく「理想的なリーダーシップ」といったことが語られますが、そんなものは存在しません。リーダーシップというのは極めて文脈依存的なもので、どのような状況・環境においても有効に機能するリーダーシップなどというものはあり得ないのです。
 アムんセンとスコットの対比に関して言えば、アムんセンによる、権力格差の小さいリーダーシップは、南極点到達という、極めて不確実性の高い営みにおいては有効に機能し、一方のスコットによる、権力格差の大きいリーダーシップは、有効に機能しなかったわけですが、だからといってここから「どのような状況においても権力格差の小さいリーダーシップが有効なのだ」と断ずるのは暴論でしかありません。
 この示唆を、現代に生きる私たちに当てはめてみればどのようになるでしょうか? 当時の南極は、前人未到の大地であり、そこがどのような場所であるかはよくわかっていませんでした。それはまさに、現在の我々にとっての「これからやってくるアフターコロナの世界」のようなものです。このような不確実性・不透明性の高い環境において有効なリーダシップとはどのようなものか? について考える題材を本書は与えてくれると思います。

 次に「アムンセンとスコットの圧倒的大差を生み出した要因」についての二つ目の点、すなわち「パーソナリティの側面=内発的動機の有無」について述べたいと思います。
 内発的動機というのは「好奇心や衝動、内側から湧き出る感情によって喚起された動機」ということです。一方、たいち概念となる外発的動機というのは「評価や賞罰等、外側から与えられた刺激によって喚起された動機」となります。言うまでもなく、本書の文脈で言えば内発的動機の持ち主がアムンセンであり、外発的動機の持ち主がスコットということになります。別の言葉で表現すればアムンセンは「夢中になる人」であるのに対して、スコットは「一生懸命頑張る人」ということになります。そして、これまでになされた数多くの動機に関する研究は「頑張る人は夢中になる人には勝てない」ということを示しています。本書は、この命題を詳細に説明する事例として非常に優れたものだと思います。
 アムンセンは、同じノルウェイ出身の探検家フリチョフ・ナンセンによるグリーンランド横断に感動して、十六歳の時に探検家になることを決意しています。その後は、ありとあらゆる探検記を読み耽って成功・失敗の要因を分析する等、知識レベルでの研鑽を積み重ねる一方で、極地の寒さに体を慣らすために真冬に窓を開け放って寝たり、あるいは極地で必須となるスキーや犬ぞりの技術を身につけたりといった身体レベルでの研鑽を積み重ねており、人生のあらゆる活動を「極地探検家として成功する」という目的のために一分の隙もなくプログラムしていきます。
 一方、スコットはもとから告知探検に興味を持っていた人物ではありません。スコットはもともと提督になることを夢見て海軍に入隊しています。おそらくは謹厳実直で非常に優秀な人物だったのでしょう、知り合いの有力者から「南極探検の隊長に最適の人物」と推挙され、おそらくは本人もその抜擢が海軍での出世のチャンスになると考えたと思いますが、最終的にこれを引き受けてあむんせんと争うことになります。
 このくだりはさらりと読み過ごしてしまいそうな箇所ですが、私は非常に切ないものを感じるのです。というのも、南極探検の太陽を引き受けて欲しいというオファーに対して、二日間これを預かったのちに、引き受ける旨の返事を出しています。この「二日間」という微妙な時間に、スコットという人物の優柔不断さがよく出ていると思います。もとから極地探検のような営みへの志向性を持った人物であればその場でそ即答したことでしょう。
 こういった抜擢人事は現在の企業においてもよく見られます。多くの企業において「未踏の領域へと踏み出すイノベーションプロジェクト」のリーダーは、それまで高い実績を出してきた謹厳実直で優秀な人材が抜擢されます。そして、これまでのイノベーションの歴史が明らかにしてくれているように、このようにして抜擢された「頑張る人」は内発的同期に駆動された「夢中になる人」には結局、勝てないことが多いのです。
 しかし、なぜ「頑張る人は夢中な人には勝てない」のでしょうか? 本書を読めばその答えはよくわかると思いますが、一言で言えば「夢中な人」と「頑張る人」とでは「累積の思考量が全く違う」のです。特にこのケースの二人を比較してみれば、アムんセンは一〇代からすでに極地探検になるための知識の蓄積・t実地の体験を積み重ねてきたのに対して、スコットは南極探検隊隊長のポジションを打診されてから、言うなれば付け焼き刃的に知識やスキルを詰め込んだに過ぎません。このように比較してみれば、二人の累積思考量の違いには天と地ほどの開きがあったことでしょう。この思考量の違いが最終的に大きなパフォーマンスの違いになって現れるのです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年1月27日
読了日 : 2024年1月16日
本棚登録日 : 2024年1月16日

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