健全なる精神 (双葉文庫)

著者 :
  • 双葉社 (2012年8月9日発売)
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本棚登録 : 86
感想 : 12
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 久々のゴチエイ先生本。方々に寄稿した原稿の集成。一部ネタの重複が見られはしましたが、相変わらずのゴチエイ節で面白かったです。

 修辞学者の香西秀信さんの本では、著者の好む論法は類比の議論である、と指摘されています。
 類比の議論とは、ある事柄Aを非難するのであれば、それと本質的な部分で同質であるBについても同様に非難されなければならない、という「正義原則」に基づくものです。著者が上手いのは、Bに当たる部分には今更変えようもないくらい当然に使っているものを持ち出すところです。そうして「Aがダメなら当然Bもダメって事になるけど、もちろんBに対しても禁止の声を上げるんですよね?」とやりこめるのが著者の得意とする論法です。
 著者を評論家としての師匠筋に当たるという宮崎哲弥さんは、このような相手の理屈をそのまま相手に適用してやり込める論法を「相手の神で相手を撃つ『帰謬法』」と呼びます。いかにもカシコな表現です。私が、相手医の論理を内部から破壊する帰謬法のことを「レトリック北斗神拳」と呼んでるのとは大違いですorz。

 このレトリック北斗神拳、もとい帰謬法は、言論の内容だけでなく、言論をする者の一貫性や態度といった言論行為をも射程に入れます。どちらかというと後者の方に重きを置いた攻撃と言えなくもなく、それは「変な理屈でも構わないけど、お前さん、その理屈、当然自分にも適用するんだよね?」と詰め腹を切らせる形で使われることに表れています。
 著者がこういう論法を好んで使うということは、著者が言論を内容だけでなく論者との一体性で見ていることを示します。論者と言論内容の一貫性を求める著者にとって、一番許せないのは「自分がどういう前提に基づいて議論を構築しているか、その足下が見えておらず、自分の議論の射程がどこまでなのかもわかっていない奴」なんだろうと思います。
 それは、極端な例ではありますが、本書の初めの方に収録されている坂東眞砂子の「子猫殺し」についての文章にも表れています。著者は、板東氏のやってることには賛同できないとした上で、それを責め立てる人たちも、そもそもペットを飼うこと自体が人間のエゴであり、両者の差は程度問題でしかないということに気づいていないことを指摘しています。
 本書を読んでいると、著者のイラッとくるポイントが「お前はどうなんだよ!」にあるんじゃないかな、と思えてきました。

 足下を掬うような原理的批判や、言葉に関する批判も、読んでいてスカッとしました。
 最近、韓国・朝鮮人名だけでなく、中国人名までも中国語の発音に従うべきとするような風潮がありますが、「何で日本人が外国語の発音や読み方まで勉強しなきゃならないんだ」という批判はしごくもっともだと思います。そもそも、日本語は音韻が比較的単純な言語ですから、それを以て外国語の発音が表記しようとしても限界があります。結果として、漢字の音読みとも、現地語の発音とも違う、何とも奇っ怪な表記・発音が生み出されるわけで、こういうことをするときには、「する・しない」以前にまず「できる・できない」を検討しろよ、と思ってしまいます。

 比較的短い文章を集めた本なので読みやすいです。本書を読んでたら、久しぶりにゴチエイ先生の本を読み返してみたくなりました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年8月19日
読了日 : 2012年8月19日
本棚登録日 : 2012年8月19日

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