表題作は独自の手法で円周率の計算式を求めることに生涯を費やした建部賢弘が主人公。算聖と称された師匠の関孝和との葛藤に苦しみながら、円周率の公式を見出すまでが描かれている。同作は歴史文学賞と日本数学会出版賞を受賞している。
著者の鳴海は、日本数学会出版賞受賞のあいさつで
人間世界では、誰もが円周率であったり、自然数であったり、虚数といったひと言では説明できない存在だと思います。それらの人間が織りなすドラマは、たとえ千差万別であっても、小説という一つの形になったとき,オイラーの公式のように矛盾がなく美しい物語になっていれば、それは傑作として長く人々に感動を与え続けます。
と述べている。
この人間観は、同書の「初夢」の中にも出てくる。
この作品は貨幣を鋳造する銀座で代々銀座役人を務める家に生まれ、翌年から年寄り役に就任することが決まった平野忠兵衛の大晦日の夜が描かれる。銀座役所の責任者となることを前に、若い頃から志してきた算術家として名を成すという夢をあきらめようとする忠兵衛に、妻のお福はこう言うのだ。
「馬鹿おいいでないよ。お前さんから算術をとって、いったい何が残るっていうんだい。人の生き方なんて、そろばんだまみたいに、ご破算で願いましては、なんて出来るもんじゃない。人はだれでも、その人の生き方しか出来ないもんさ。そうに決まってるよ」
なんともすがすがしい言葉。物語りも、最初は夢をあきらめる決意をした忠兵衛の暗い物思いから始まるが、ラストは意外な展開となっている。
同書にはほかに、「空出」「算子塚」「風狂算法」「やぶつばきの降り敷く」の六篇を収録。
- 感想投稿日 : 2009年8月14日
- 読了日 : 2009年8月14日
- 本棚登録日 : 2009年8月14日
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