暗闇の中で子供 (講談社ノベルス)

著者 :
  • 講談社 (2001年9月6日発売)
3.44
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本棚登録 : 1434
感想 : 182
5

 舞城王太郎で一番好きな作品かも知れない。
とにかくめちゃくちゃでグロいので、最初読み終わったときは困惑したけど、読了からしばらくしてからじわじわ好きになっていった。
 舞城王太郎がグロいしめちゃくちゃなのはいつものことなんだけど、最後に急展開で三郎が四肢を失ったのは、読み終わってすぐは流石にちょっとショックだった。
 三郎が四肢を失う理由を考えると今作の結末は前作「煙か土か食い物」のラストと対応しているということが関わってくると思う。
 前作は元から不和を抱えていた家族が、事件に見舞われめちゃくちゃになった後、医者である四郎が繋ぎ直すという「破壊と再生」の話になっている。一方で今作は三郎が四肢を失ったままで「再生」がない。初めは悲惨な状況と不自然に明るい三郎の態度から、三郎が現実逃避するバッドエンドかと自分は思った。
 しかし、作者の意図は三郎が明るく語ったままに三郎ドゥビドゥバなハッピーエンドなのだと思う。三郎は四肢を失った後、「失うことで得られるものがある」「想像の手足で踊る」と言うことを語る。失うことによって、却って無限に描ける可能性を得るということが、この結末で描かれたうちの最も重要なことのひとつだ。
 自分が使っていた教科書が一般的にどのくらい使われているものなのかわからないけど、私の高校生のときの教科書には「サモトラケのニケ」の評論が載っていた。曰く、サモトラケのニケは頭部及び両腕が欠損していることによって、感情を表現する部位を失っているが、それによって却って無限の可能性を想像出来る。その可能性の想像によってしか描けない美があるという(曖昧な記憶の要約)。今回の三郎が迎えた結末はまさしくサモトラケのニケの美と同じなのだと思う。
 舞城王太郎はたびたび、実現する・したかもしれない「可能性」について描いている。『好き好き大好き超愛してる』の有名な冒頭でも、「愛は祈りだ…」の後には「僕は世界中の全ての人たちが好きだ。(中略)なぜならうまくすれば僕とそういう人たちはとても仲良くなれるし、そういう可能性があるということで、僕にとっては皆を愛するに十分なのだ。」と続く。『暗闇の中で子供』は可能性と愛についてはじめに辿り着いた作品で、『好き好き大好き超愛してる』に繋がるアイデアが生まれた作品であるのだ。
 また、『煙か土か食い物』の結末では解決できなかった「現実に一縷の希望も残されていなかったときに、どうやって家族や世界を愛するのか」という課題に答えを出した作品なのだと言える。冒頭で三郎が同級生の指を切り落として語ったように、「これからどんどん悪くなる」果てのない喪失が存在するとしても、失った後には可能性を描くことができるという、潰えない愛と希望を舞城王太郎は描いたのだと自分は解釈した。ラストの様々な人が危機を救いに来てくれることを描く嘘のシーンの連続も、実際にそうならなくても、そうやって自分を助けてくれた可能性があるというだけで、「世界中の全ての人が好きだ」と言い切ったのだ。
 パラレルな可能性の想像によって世界に対する深い愛を持つことができる。そして、パラレルな可能性を描くために、そこには、嘘でしか描けない本当のことがあって、それは小説の役割である。
 以上が自分が『暗闇の中で子供』を読んで感じ取れたことだ。
 ただ、ラストシーンについては分からなかった部分もいくつかあり、特に奈津川家の無数の幽霊はどう解釈できるのか、いまいちわからなかった。今後何度か読み返していずれ分かるようになりたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ミステリ
感想投稿日 : 2023年3月29日
読了日 : 2023年2月11日
本棚登録日 : 2023年1月14日

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