性食考

著者 :
  • 岩波書店 (2017年7月26日発売)
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本棚登録 : 831
感想 : 32
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東北学を生み出した赤坂憲雄の挑戦的な考察ーいのちの根源。
なんと刺激の強い本だろう。これが、お堅い岩波書店から出ているので、襟を正して読まなければならない。「食べる。交わる。殺す。」の三角関係について、赤裸々に語られている。
そして、総合的、俯瞰的なユニークないのちの根源の概説となっているのである。
食べることは、交わることにつながる。食べることは、殺す行為によって成立する。
交わることと殺すことは、カマキリのような人生だ。
確かに、食べることは、交わることの同じ神経回路の中にあり、興奮するのだと思う。
芥川龍之介が「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい気がします」と言ったという。「食べちゃいたいほど可愛い」って、私も言ってみたい気もするが、無理だよなぁ。
「内なる野生の叫び声」としたら、体の中に別の生き物がいるに違いない。
「異類婚姻譚」は、神話、童話、民話や昔話に当たって、縦横無尽の言葉狩りをして、一つのあり様を成立させる。「ぬいぐるみ」に、そんな深い意味があったとは、人間の持つ変身願望を表現する方法だったのだ。
姫様が 泉にマリを落として困っていると、カエルがとってきてやるから、一緒にメシを食べ、ベットインしようぜという。そんなにマリが大切だったのだ。そして、とってきてもらって、メシは一緒に食べるが、ベットインまでできない。王様に相談したら、「恩返ししろ」とまるで、大和田常務だ。姫は、怒って、カエルを壁にぶつけたら、王子様になって、結婚したという。なんともハッピイな話だが、そんな筋たての話は、恩返しの内容が、等価交換ではないような気もする。少なくとも、倍返し以上だ。まぁ。カエルの逆玉現象ですね。よく考えれば、鶴の恩返しも良くにてる。蛇と交わるというのも、神との関係でいくつもの物語がある。なるほど、そんな風に、身分違いの結婚というのが、異類婚姻に発展して行くのですね。
食べることと交わることは、つながって行くのだが、殺すことなくして、食べられないというどうしても避けられないことについての関係は、宮沢賢治の「注文の多いレストラン」で見事に表現している。食べようとして、食べられてしまう。
それにしても、童話や絵本には、赤ずきんちゃんも含めて、食べられてしまう話が多いのは、物語の始まりは、いのちのあり様から始まるからかもしれない。ぐりとぐらも、たまごでケーキを作ることから始める。唐揚げを作らないところが、ミソとは思わなかったなぁ。問題は、日本人が江戸から明治に変わるときに、肉食に食文化が変わったときに、どのような納得があったのかが知りたい。
猿に近親相姦(インセントタブー)をしないルールやペットを食べないルールが確立したにも関わらず、豚だけは食べるためだけに育てるという食文化の形成が面白い。
始まりの神話においては、太古の海から、性の出現によって、性が死を引き寄せ、死が性とともに顕われた。性こそが世界に多様化をもたらした。
レヴィストロースの料理の三角形は、「生のもの」「腐ったもの」「火にかけたもの」となっているが、「発酵」が腐ったものに対峙していないのが残念だ。そして口と肛門の関係を語る。
生け花が生贄につながる考察は、面白い。
性欲、権力欲、食欲のそのいのちの根なるものを紐解いて行くことで新しい分野が広がる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 〈食〉
感想投稿日 : 2020年10月10日
読了日 : 2020年10月10日
本棚登録日 : 2020年10月10日

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