仰臥漫録 (岩波文庫 緑 13-5)

著者 :
  • 岩波書店 (1983年11月16日発売)
4.04
  • (40)
  • (19)
  • (34)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 422
感想 : 42
5

私は、いま「俳句」を生み出したいと思っている。短い言葉で、宇宙を表したいという欲望が強い。とにかく、文字を書き連ねている。それを凝縮したい。画像を見て、俳句をひねり出す。
なんか、その行為がスリリングだ。
寺田寅彦は、夏目漱石に俳句とは何かを質問する。
夏目漱石は「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」
夏目漱石は、やはり面白い見方をしている。扇のかなめに集中して、放散させるという視点は大切だ。1867(慶応3)年に、正岡子規と夏目漱石は生まれた。正岡子規は、松山藩士正岡常尚と八重の間に長男として生まれた。翌年に明治維新となる。1889(明治22)年に第一高等中学校で、2人は出会う。2人は、影響を与えあった。
本書は、正岡子規の死去する前年の1901(明治34)年9月、10月の日記が書かれている。子規は結核菌が脊椎を冒し脊椎カリエスと診断される。数度の手術も受けたが病状は好転せず、やがて臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになった。3年ほど寝込んでいた。まさに晩年である。
寝たきりで、前に庭が見える。それが世界だった。
最初に始まるのが、明治34年9月2日雨 蒸暑し。
「朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干砂糖つけ
昼 粥四椀、鰹のサシミ一人前、南瓜一皿、佃煮
夕 奈良茶飯四椀、なまり節、茄子一皿
此頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかえす。二時過牛乳一合ココア交て、煎餅菓子パンなど十個ばかり」
この子規の食欲に驚かせる。これが連日続くのだ。お腹が痛くなるくらい食べ、吐いてしまう。それでも、食べる大食漢。お椀の大きさはどれくらいだったろう。調べてもわからなかったが、四椀なのだ。ここに、子規のもつ生きようとする苦しいほどの熱意。食べることは生きることだ。ずーっと調べたが、葉物野菜を食べていない。炭水化物主体の食事である。昔は、ご飯いっぱい食べれれば満足という時代だったんですね。
あとは、痛みを耐えることと、そして庭を見るのだ。そして、句を読む。死を直前にして、癇癪を起こす。結核なので、人はあまり見舞いには来れないはずだが、よく友人たちは来る。
『彼は癇癪持ちなり、強情なり、気がきかぬなり、人に物問うことが嫌いなり、彼の欠点は枚挙にいとまあらず、家人恐れて近づかず』と描写する。死の間際にあっても、自分を外から見る。
気に入った俳句。
棚の糸瓜思ふところにぶら下がる
糸瓜ぶらり夕顔だらり秋の風
物思ふ窓にぶらりと糸瓜哉
雨の日や皆倒れたる女郎花
蝉なくや五尺に足らぬ庭の松
秋もはや塩煎餅に茶渋哉
餓鬼も食へ闇の夜中の鱒汁
町川にボラ釣る人や秋の風
美女立てり秋海棠のごときかな
芙蓉よりも朝顔よりも美しく
馬の尾に仏性ありや秋の風
秋の蝿殺せども猶尽きぬかな
秋の蝿追へばまた来る叩けば死ぬ
鶏頭や今年の秋もたのもしき
干瓢の肌うつくし朝寒み
糸瓜には可も不可もなき残暑かな
栗飯や病人ながら大食ひ
かぶりつく塾柿や髯を汚しけり
黒きまで紫深く葡萄かな
よべここに花火あげたる芒かな
人問はばまだ生きている秋の風
成仏や夕顔の顔へちまの屁。
ふーむ。きりがない。句が実にシャープだ。
大飯を食らい、ただひたすらに読み続ける子規。
生きるって、そういうことだ。どんな状況にあろうとも。どんなに身体が痛く、壊れていようが、意志で生き抜く。天晴れ、正岡子規!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:
感想投稿日 : 2021年9月12日
読了日 : 2021年9月12日
本棚登録日 : 2021年9月12日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする