映画をつくる (国民文庫 840)

著者 :
  • 大月書店 (1978年1月1日発売)
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感想 : 3
4

『私は、私自身の外見上の真面目人間ぶりに、
自分でだまされていた。』

怠惰で、ふざけ好きで、軽率な精神構造。

自分のよくしっていることしか 書くことができない。
いじましい物語。

ふみさんのように涙を流しながら、画面のなかと見る自分が一体化していく。

外国人が日本人を見るように日本人を描く、あるいは
逆に外国人を見るように日本人を描く。

つくる側と見たり聞いたりする側の間にそのような心のつながりが必要なのです。
お前に歌ってもらいたい歌はもっと明るい歌なんだよ。
俺たちを楽しく笑わしてくれることなんだよっていうことが。

芸術は、人をよろこばせよう、人をたのしませようという
無欲な気持ちのなかから生まれてくるもので、
そういう気持ちがたくさんあればあるほどいいものが
うまれてくる。

芸術と娯楽を対立する概念とする考えからは
けっして良い芸術はうまれないということです。

インテリのいけないところは自分の感性を信用しない。
インテリは感性と言うものをインチキ臭いと決め込む傾向がある。
だから 頭で解釈しないと納得しない。

日本の高度経済成長とともに日本の映画は斜陽化し、
衰退していき、そのかわりにテレビが出現し、
ギャンブルが繁栄してきた。

映画であれ、文学であれ、その時代の文化が形になったもの
といって良いものではないでしょうか。

太陽と海と大自然を相手に人間が一部として暮らしていた
何万年、何十万年と言う時代あって、そのなかからすこしでも
生きやすいように、気持ちよく暮らせるようにと、
人間は文明を作り出してきた。
人間は人間であり続けるために、芸術はますます必要不可欠なものとなって
来るのではないか。

人間はつねに毒があるが、その毒を笑いで吹き飛ばしているところに、
落語の健康さがある。

リアリズムというのは、より豊かな表現のための方法なのであって、
現実のあるがままをべたべた写すということでなく、もっと想像する、
あるいは創造すると言うことにかかわることがらである。

『又三郎は、風と一緒にいってしまったんだよ。
ほら、あの雲を見てごらん。あれはきっと又三郎さ。』

寅さんはおよそ現実では不自然きわまるような行動を
自由自在に行える権利を観客からあたえられるわけです。

作品をつくるうえでもっとも大切なことは、
一言でいえば、どうしてもそれをつくりたいという
衝動のようなものだと思います。
しかしそれは、言葉ではとても説明しにくい内容のものです。
衝動というのは もともと そうしたもので、
曖昧でモヤモヤしていて、どうしてもつくりたいとしかいいようの
ないものが、自分のうちに湧いてくると言うことではないかと思います。

「松五郎という人力車夫がいた。彼は無教養で粗野な男だったが、
その心は泥のなかのダイヤモンドのようにキラキラ輝いていた。」

「芸術とは人をたのしませることだ。」と柳田国男はいう。

わかりやすく、端的な言葉で説明しようとする姿勢が気持ちいい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 映画/俳優•監督論
感想投稿日 : 2013年10月14日
読了日 : 2013年10月14日
本棚登録日 : 2013年10月14日

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