3回に渡っておこなわれた講演をまとめた本で、柄谷行人の「昭和・明治平行説」に則る形で、戦前と戦後の日本社会における超越的な審級の変容を読み解いています。
第1章では、江藤淳や加藤典洋の議論を参照しつつ、戦後の日本がそれまでの「天皇」に代わって「アメリカ」が超越的な審級に位置づけられていたと論じられます。ところが、1970年以降もはや「アメリカ」は超越的な審級としての役割を果たさなくなっていきます。1970年代の日本では、「日本」というローカリティが意味を失い、日本人であることがそのまま世界市民であるという奇妙な錯覚が行き渡ります。戦前においてこの時代に対応するのが、超越性を持たない天皇を戴いた大正時代です。
そして、その後にやってくるのが戦後においては「ポストモダン」であり、戦前においては「近代の超克」です。著者は、西田幾多郎や田辺元といった京都学派の議論を参照しながら、彼らの主張した多文化主義の立場が、それまで超越的な審級としての機能を果たしていた「西洋」が普遍性を失い、オブジェクト・レヴェルに引き下げられることに注目しています。ここでは、超越的な審級をたえずオブジェクト・レヴェルに繰り込んでいくことが、逆説的に普遍性を示すことになるというロジックが見られます。そして著者は、これと同じロジックが、「ポストモダン」の時代における消費社会的シニシズムに見いだされると主張しています。
正直に言って、個々の議論の扱い方が恣意的に見えてしまうところがあるのですが、著者の議論の大きな枠組みが共有できるならば、興味深い見方なのではないかと思います。
- 感想投稿日 : 2016年9月6日
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- 本棚登録日 : 2016年9月6日
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