ある日、子供達が家に持ち帰ってきたのは、6個のカルガモのタマゴ。
近所の田んぼのあぜ道にカルガモの巣があったのだが、大雨で巣は流されてしまい、カルガモ母さんも姿が見えない。
そのままではカラス等の餌食になるか、腐ってしまうかのどちらか。
もうすでに2個はカラスに食べられてしまっている。
そこで、残ったタマゴをひろってきたのだった。
本来、野鳥を飼うことは禁止されているが、「リハビリ」という名目で、育てる事になった一家の物語。
いずれ必ず野生に返す、という約束のもとに・・・
本書は2012年夏の小学校中学年向けの課題図書。
動物園で飼育されているカルガモのヒナを見て以来、カルガモ好きになったので、前から気になっていた本。
カルガモのヒナ目当てに毎週のように動物園に通った時期があったが、今にして思えば、よく熱中症にならなかったものだと思う。
小学校中学年向けなので、写真やイラストも多く、字も大きめなので、あっという間に読めてしまう。
真っ先に思い出したのはコンラート・ローレンツ「ソロモンの指環」(早川書房)の”ガンの子 マルティナ”のエピソード。
図らずもハイイロガンの育ての親になってしまったローレンツ博士の奮闘記だ。
マルティナは昼は2分おき、夜は1時間おきに親の「存在確認」をする。
ここでうっかり応答を忘れようものなら、マルティナは必死の形相で騒ぎ出す。
そのため、ローレンツ博士は、やがて寝言で応答できるようになった、と書いている。
クリとゴマの場合も同様だったらしい。
(夜中にも鳴いたかは定かではないが、同じカモ科なので、似たようなものだろうと想像している)
2羽の成長の様子は、読んでいて、思わずにやけてしまう。
黙っていてもカルガモが後をついてくる、というのは、カルガモ好きとしてはうらやましい以外のなにものでもない。
ただ、いくら写真を見て、説明されてもクリとゴマの区別はつけられなかった。
著者も、時々、クリとゴマを間違えていたのでは?と思う。
が、やがて、この2羽の「個性」の違いに気がつく。
クリは好奇心旺盛だが几帳面で臆病、ゴマは少々のことでは騒がない、のんびり屋でくいしんぼう。
カルガモのヒナ目当てに動物園に通っていた時も、ヒナ達は、最初、カルガモ母さんの後をついていくだけだったが、そのうち、「母親べったり派」と「そっちのけ派」に分かれていたのをなんとなく覚えている。
面白いのは、人間の子供の「反抗期」に相当する時期があったということ。
成長して、だんだん力がついてくるので、一人(一羽)でいろいろやりたいが、経験がないので、なにかと不安、という時期があるのは人も鳥も同じなのだろか。
世話が大変でも、楽しい日々はあっという間に過ぎ去り、やがて、野生に返す日がやってくる。
この類の話では「お約束」かもしれないが、別れのシーンは、やはり悲しい。
が、クリとゴマは、その後、(別々に)一度だけ「里帰り」をする。
クリとゴマを離した遊水地から著者の家までの道程は知らないはずなのに、なぜか家の場所を正確に知っていた2羽。
まるで飛べるようになったから、挨拶に来たかのように。
その後、著者は、遊水地で口笛と鳴き声で「挨拶」をかわすようになる。
最初のうちこそ、姿も見せたが、そのうち声だけに。
次第に疎遠になっていくが、それはクリとゴマがカルガモ社会に溶け込んでいった証。
望んだとおりの結果になったのだが、寂しさは隠せない。
著者は、世話になった獣医に
「今度から野鳥が保護されたら里親になって欲しい」
と冗談交じりに言われたとき、
「とんでもない」
と、すぐに断る。
それは「世話の大変さ」と同時に「別れのつらさ」があったからかもしれない。
- 感想投稿日 : 2013年1月12日
- 読了日 : 2013年1月12日
- 本棚登録日 : 2013年1月12日
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