顔、身体、心、経験、口から出る言葉、口に出さない言葉。
すべてひっくるめて自分なのだ!
と作品の中で叫び続けている西加奈子さん。
つい数日前に読んだ『きりこについて』の中では、猫と会話するきりこが
冷たい井戸水に触れて「Water!」と言葉を得たヘレン・ケラーのごとく
雷に打たれたような直感と拙い言葉で「まるごとの自分」を叫んでいたけれど、
この『ふくわらい』では、主人公の定の職業が編集者ということもあって
その思いは、整った美しい文脈で、言葉を尽くして語られます。
母の胎内に感情というものをすべて置き忘れてきたような子どもだった定。
そんな定が、初めて福笑いで創り上げた珍妙な顔を見て笑い転げて以来、
彼女にとって顔は、目、鼻、口、眉毛というぺらぺらのパーツの集合体となり、
自由に組み合わせて遊べる、唯一無二のおもちゃになる。
紀行作家だった父にくっついて辺境の地を転々とした少女時代に
ある部族のしきたりに乗っ取って、亡くなった女性の肉を口に含んだことを
父が嬉々として作品に綴ったため、7歳にして奇異な目で見られ始める定。
世間との間に透明で硬い壁ができても一向に気にせず、奇矯な行動を取っても
パーツの組み合わせに恋している彼女が、誰かが言葉を積み上げて文章にする、
そのことに深い興味を抱き、編集者として高い能力を発揮するのがおもしろい。
福笑いでパーツの集合体としての「顔」に拘り続けてきた定が
目の見えない武智次郎に、「見えなくても定さんは美人だ」と断言され、
敬遠していた同僚の小暮しずくが屋上で獣のように泣き叫ぶ傍らに寄り添い、
怖いのにリングに立ち、体があればいいと思いながら、社会と繋がっていたくて
思いを言葉にして綴らずにいられないプロレスラー守口の姿を目の当たりにして、
おにぎりやカルピスと一緒に、消化しきれなかった自分を吐き出すシーンが圧巻です。
関わりを持ったひとたちを興味深く見つめ、自ら関わろうとするにつれ、
定が他人の顔のパーツを自由に操って遊ぶのをがまんし始めるのが微笑ましく、
彼女を慈しみ育ててくれた乳母の頼子が、生まれて初めてできた友だちとして
小暮しずくを連れて現れた定を見て泣きじゃくる場面には涙が止まらず
「顔」に拘り続ける定の顔がどうしても想像できないまま辿り着いたラストシーン。
日曜の新宿通りを、光を浴び、生れたままの姿で、武智次郎と手をつないで歩く定は
まさに今、新しく世界に生まれ落ちたのだと知り
幸せに満ち、生き生きと笑っている顔が最後の最後に鮮やかに浮かび上がって
やっぱり凄いな、西加奈子さん!と唸らせられる1冊でした。
- 感想投稿日 : 2012年12月13日
- 読了日 : 2012年12月12日
- 本棚登録日 : 2012年12月13日
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