見出された時II (岩波文庫 赤 N 511-14)

  • 岩波書店 (2019年11月16日発売)
4.27
  • (8)
  • (4)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 136
感想 : 6
5

「なんと多くの大聖堂が未完成のままになっていることか!」

「なぜならその人たちは、私の考えでは、私の読者ではなく、自分自身の読者だからである。」


"人生がそのまわりに休みなくさまざまな糸を織りなす" さまが、"古い庭のただの水道管が苔むしてまるでエメラルドの鞘で覆われているかのようである" なんて、そんな詩情が愛おしい。老いてゆくとは、夢のなかへとじこめられてゆくことなのかもしれない。
療養期間を経て久々に訪れたサロンで、老いさらばえた社交人士たちをみて爆笑する「私」。最高な出だしの最終巻。これらの 老い を道化芝居だの仮装だのあやつり人形などと眺めるまなざしには、自虐のかおりもしてたいへん愉快。クエイ兄弟のアニメーションをみているようでとてもすき。
そしてこの最終章で、なんども同じようなことをくりかえし語るさまは、まるで「私」じしんの耄碌した 老い そのものをあらわしているようで、哀愁と可笑しみが滲む。なんて半分冗談だけれど。
狭い社交界でぐるぐるまわる恋と人間関係。けれどそれはまさに、"森のなかにおいてまるで異なる地点からやって来たさまざまな道が集まる「放射状(エトワール)」の交差点のようなもの" であり、しかるべき未来や過去へと収斂する道(あるいは円環のような道)をわたしたちは知らぬまに辿っていることのよう。
そしてこの物語まさに、プルーストによる、"全面的に描きなおすべき世界の転写" だった。

「また、子供のときから同じひとつの理念を追求していながら、怠け癖そのものに病弱までが加わって、たえず理念の実現を先延ばしにしては、毎日夜になると無駄に過ごしたその一日をなかったことにし、身体の老化を早める病気が精神の老化を遅らせている人は、それとは異なり自分の内面で生きることをせず、ただカレンダーに従って暮らし、日ごと積み重ねてきた歳月の総体を一挙に発見する事がない人と比べれば、自分がたえず「時」のなかを生きてきたことに気づくと、いっそう驚いて動転する。」
これって、じぶんのことよね、プルースト?なんて散りばめられた自虐に笑いながらも自分を笑い、そして癒されてゆく。
"調和のとれた成長"があるいみ、精神生活における感覚を鈍らせている、なんてたしかに皮肉だけれど、そんなことにも気がつかずに楽しく毎日を過ごす(そりゃ悲しいこともあるだろうけれど)ひとたちを長いこと羨んできたけれど、この「失われた時を求めて」によってどれだけその靄が晴れて、人生をうけとめることができるようになったことだろう。
他者との交流を好んであまりしてこなかったわたしは、"神秘の糸"でより合わされた糸はまだ細く、"思い出の網目" も粗く少ないけれど、とりだしてみて眺めると、悔恨と恣意とすこしの愛がきらめき、それはそれで美しいものかもしれない。

さいごの数頁は、世紀の大発明家のような焦燥と歓喜だったけれど、この14巻をとおしてわたしも、じぶんじしんと世界を発見したのだ。
最後の一行のあとようやく浮かびあがる表題。
「失われた時を求めて」。
そう記された扉をあけ、わたしたちはその城(世界)を探訪し、わたしたちじしんの "ほんとうの" 人生のなかを歩み、散らばる記憶と「時」で描かれた見取り図を、いつかひろげてよみ解くのだ。
そしてあなたの「本」は、100年後だってまだきっと、その光を放っていることだろう。
ほんとうにすてきな時を、
「ありがとう、プルースト」。



「まるで人生は、どれほど異なる図柄を織りなそうとしても、限られた数の糸しか所持していないかのようである。」

「この「時」は、ふだんは目にとまらないが、目に見えるようになるための肉体をもとめていて、そんな肉体に出会えばどんな場所でもそれを捉え、その肉体のうえに時間の幻灯を映し出すのだ。」

「老いとは、あらゆる現実のなかで、われわれが人生において最も長いあいだ純粋に抽象的な概念をいだきつづける現実なのだ。」

「人はものごとに到達するとイメージの美に瞠目することはなくなり、ものごとを通過したときにはじめて概念の美を悟るのである。」

「歳月はすぎ去ること、青春もいつしか老年となること、いかに揺るぎない財産や王位といえども崩壊すること、名声は束の間であること、これをわれわれがいくら承知していようと、「時」に駆り立てられて移ろいゆく世界を認識し、それをいわばネガフィルムに撮るわれわれの方法が、逆にこの世界を動かぬものにしてしまうのだり」

「心のいっそう深いところから発する無私無欲の関心は、記憶を多様化する。それゆえ詩人は、人から憶えているかと訊ねられるような事実はすっかり忘れているのに、はかなく消えゆく印象はしっかりと憶えている。」

「自分が生きていることを喜ぶためにこのような死を必要としない人たちも、人の死をありがたく思った。なぜならどのような死も、他人にとっては生活を簡単にしてくれ、その人に謝意を表明しなければならない気遣いや、その人を訪問しなければならない義務をとりのぞいてくれるからである。」

「これから何年にもわたり、あらゆる深い洞察を排除する社交上のつき合いという不毛な楽しみのために、その人たちの口にすることばの残響が消えるか消えないかのうちに、その残響に私のことばというこれまた空しい響きを重ねて、幾多の夜を無駄にすごしたところで、なんの役に立つのだろう?」

「四分の一は演者の創作、四分の一は狂気、四分の一は無意味、残りはラ・フォンテーヌのものでしょう」

「人生からすばらしい役柄を頻繁に与えられなかったからではなく、オデットがすばらしい役柄を演じるすべを知らなかったからである。」

「サン=トゥーヴェルトの名前と赤いフクシアのような絹地に示された帝政様式とが花咲いたこの揺りかごのなかで、婦人があやしていたのは「時」だったのである。」

「やがて私は、退散してゆく記憶がその自我まで持ち去るのを感じた。」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年2月4日
読了日 : 2023年2月4日
本棚登録日 : 2023年2月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする