皆川博子さんをはじめてよんだのだけれど、呪いにもにた、神聖さをかんじた。排泄、嘔吐。忌避しがちなことがらをにんげんのどろどろとしたものを目をひらかせてみせてくる、ちょっぴりサディスティックなおもてなし。孤独なものたちの冒険譚。そしてにんげんのグロテスクな神秘が綴られているのに、まるでちがう生き物のことを識っているような幻覚。悪夢を魅せておいて、泣きながら、行き場をなくしたひとりぼっちの魂たちを抱きしめているようでもあったから。わからない、だって表紙の絵からもう、"しかけ" ははじまっているのでしょう(あとがきまで)?
『睡蓮』がとても好きだった。
⬛︎水葬楽⬛︎
ことばをしり、感情をみとめることはなんと辛いことだろう。幸せを光にかざすとそこにはちゃんと陰があることが、さびしい。無防備な魂はやがて鎧をつけて無垢なふりをする。救うのは詩。それをよむのは孤独な冒険者たち。
⬛︎猫舌男爵⬛︎
ニッポンの、日本語のおかしな矛盾を外国人の目線で語りながらも、うちに秘めた苛立ちの本音がときたまのぞいてかわいい。この世の虚無な可笑しみがすべてつまっているようなサーカス。ほんとう、簡単にはわかりあえないわたしたち。あっちらこっちら勝手なこといってらあ。あーあ、おかしい!
⬛︎オムレツ少年の儀式⬛︎
オムレツをきれいにととのえることができるようになっても、常連さんのこのみが解るようになっても、じぶんのこころのなかがいちばんわからなかった、可哀想な少年の思春期。だれもおしえてくれなかったのだもの。この"尾鰭"がなんのためにあるのかも。
⬛︎睡蓮⬛︎
書簡や日記や記事の引用をもちいて時をさかのぼる。おそろしい過去が、忌まわしき歴史とともに解かれてゆく。痛みをともなう事実は堅固だけれど、ふたりのあいだの"太陽"と"睡蓮"にはふたりだけの愛とよべるものが、そして描かれることのなかったもうひとつの場所には、憎しみが在った故なのかもしれない。あぁ、なんという短編作品だろう。120分の映画をみているような濃密さ。
⬛︎太陽馬⬛︎
ひと という入れ物から、鎖から、逃れたいという欲求をつよく感じた。音も光も言葉も、その概念をすべて宇宙に放ってしまって、現在に堕ちてきた。ひとはその秘めた美しさをみとめる才能を、ただしく用いない。呪われてしまった魂を解放へとみちびいてゆく気概が聴こえた。
- 感想投稿日 : 2023年11月15日
- 読了日 : 2023年11月15日
- 本棚登録日 : 2023年11月15日
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