最後の宗教戦争である三十年戦争の時に、ウェストファリア公国の2つの都市、ミュンスターとオスナブリュックで講和会議が開かれた。それぞれの地で結ばれた、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約という、1648年に締結された2つの条約を合わせたものがウェストファリア条約である
395年 ローマ帝国は東西に分裂。腐敗した西を捨て、東だけでも立て直そうとした。西ローマ帝国は467年に滅びますが、東ローマ帝国は1453ねんまで約千年の延命に成功。
東ローマ帝国は別名、ギリシャ帝国。首都をコンスタンティノープルに遷し、ローマ教会の影響を排除
ローマ・カトリック教会が贖宥状(しょくゆうじょう)というデタラメをやっていると批判したのが、プラハ大学教授で聖職者のヤン・フス
バチカンから破門されたルターを保護したのが、ザクセン選帝侯(ローマ皇帝を選ぶ権利を有する貴族で、わずか7名しかいない)
ルターを批判したのはツヴングリ、カルバン派
3つのカルバン派の特徴は、金融大国(スイス、オランダ、アメリカ)なこと
カルバン派 禁欲的勤勉に働いて金を儲ければ、終末の日に神様に天国に連れて行ってもらえる
マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 プロテスタントの国で資本主義が始まった
ヘンリー八世が離婚したいという勝手な理由からリーマカトリックと縁を切り、1534にイングランド国教会が成立 中身はカトリックで有りながら、バチカンに逆らったのでプロテスタント扱い
フランスのカルバン派はユグノーと呼ばれる
ハプスブルクの神聖ローマ皇帝フェルナンド三世はドイツ300諸侯のウェストファリア公国にある2つの都市、オスナブリュックにはプロテスタントを、ミュンスターにはカトリックをそれぞれ分けて呼んだ
天皇、教皇、国王は皆対等。序列は即位順
ウェストファリア会議の時に至って、軍使は殺さないでおこうという約束が成立
ウェストファリア条約の要諦は、宗教的寛容です
教科書的なウェストファリア条約の説明では3つのことが確率
宗教に対する世俗権力の独立(政教分離)
帝国からの領邦主権国家の独立
主権国家の対等
大日本帝国が欧州公法を国際法にした
国際連盟で各国の調停を日本がした
1907から、大英帝国以下列国が日本と大使を交換した
- 感想投稿日 : 2019年12月16日
- 読了日 : 2019年12月16日
- 本棚登録日 : 2019年12月16日
みんなの感想をみる