今昔物語集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫 97 ビギナーズ・クラシックス)
- KADOKAWA (2002年3月23日発売)
日本の古典の旅に凝っているこのごろ。これも芥川龍之介くんのおかげです。となればその元ネタをこっそりのぞいてみたくなるのが人情で、本を開いたとたんに900歳も老けた! なんてこともなく、わくわく舌を巻くようなおもしろさです。
『今昔物語集』は、1100年初め、平安時代末期の作品で、作者も編者も不明です。1000話以上の説話が、天竺(インド)部、震旦(中国)部、本朝(日本)部の三部構成で美しく分類され、900年前にして視野もキャパも破格!
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「長大な鼻を茹でては脂(あぶら)抜きをする高僧の食事風景」(28巻20話)は、芥川の名高い『鼻』のモデルになった作品です。読むはしから大笑いして、なんだか自分の鼻までむずむずする。
「色香とムチで若い男を調教する盗賊団の美人首領」(29巻3話)は、芥川の『偸盗(ちゅうとう)』のモデルになった作品。おぼこい青年が男装した美女にムチで打擲されて恍惚とする?――これゃSM?!
さらに「名刀と交換した弓矢でおどされ妻を犯された夫」(29巻23話)は、芥川の『藪の中』のモデルになった作品。
芥川の小説作法に感心した私のお気に入り作品の一つなのです。彼はこの話をネタにして、官憲の取り調べ記録風に当事者、目撃者、証人などの鮮烈な証言をパズルのように組みあわせていきます。
きわめ付きは「天下の色事師を焦がれ死にさせた氷のような美女」(30巻1話)。プレーボーイ歌人、平定文(たいらのさだふみ)は、恋い焦がれた女の便器を密かに入手して、猛烈うっとり、しまいには……あいや~!?(食事中の方ごめんなさい、でもこれも芥川『好色』のモデル)
古文でさらりとかかれた破天荒な物語に唖然として、わたしは笑いがとまりません。こうなってくると、世俗の生々しい輝ける野蛮話(100話)を連ねた中世ルネサンスのボッカッチョ『デカメロン』以上の直球・庶民譚が、1000話以上も存在していたということですよね? ここまでとは知らなかった……すごい、めまいがします。
ということで、めくるめく世界から、本書は天竺・震旦部は6話、本朝部は23話。一話ごとに現代語訳・古文・解説・図版などもあって、大人向けとして至れり尽くせりの入門本です。古文の独特の流れ、生き生きとしたおもしろさ、なんといっても自由と多様さに圧倒されます。まったく人間とはなんぞや??
ところで、同じ平安時代に書かれた『源氏物語』は、歴史上も燦然と輝くスター文学です。その一方で、本作はなぜか江戸時代も半ばになるまで明らかにされない日陰の文学だったようです。
――なぜかしら?
登場人物は多種多様で、神仏、天皇、貴族、僧侶、武士、浮浪者、盗賊、老若男女、動植物、霊魂、妖怪……。話は悲喜こもごも、滑稽、卑猥、ユーモア、妄執、嫉妬、倒錯……広大無辺。
そのあまりの自由と奔放さに、ときの政権や宗教は、憂いや危惧を抱いたかもしれません。まるで教会権威や社会の固定観念を打ち壊した中世ルネサンスのように、人間という「素」から溢れ出すパワーや、個(人)としてそれを表現したいという渇望は、つねに快活さと野性の力を孕んでいます。それを抑圧したい為政者や表現の自由を弾圧してきた歴史との相克でもあります。洋の東西とわず、今も昔も、表現はきまって不自由なのね……
……と、勝手な妄想をしながら、なにはともあれ、『今昔物語集』が時の荒波をくぐって(一部は喪失)生き残ってくれたことがただただうれしくて、それを地道に写しながら護ってきた名も知らない先達に感謝したい。
今(も)昔(も)、悲喜こもごも、人間のありようを鮮やかに描いた物語は、これからも時空を超えて不滅です♪
- 感想投稿日 : 2019年8月16日
- 本棚登録日 : 2019年7月11日
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