本書で繰り返し、辺見氏は境界をこえること、内側に踏み込むことの重要性を述べている。
大阪での講演を聴いていたこともあり、私が一番衝撃を受けたのは、1章の「炎熱の広場にて」である。辺見氏自身の体験から綴られたこの文章から、我々が考えさせられることは非常に多い。
外延の安全圏から見る者であるだけの我々に突きつけれれるものがある。内側に踏み込むことが、全ての人に求められている。
しかし、これは本当に難しい。今、私にできることは恥を感じることだけだ。外延にいながら評することしかできない自分自身への恥をただただ噛み締めることしかできない。
恥とは何か?講演録を読むと良く分かる。内容は、大阪で聞いたものと大筋では一緒だったが、実際に聞いたものと、講演録をあわせて考えると、余計とよく分かる。
辺見氏にとっての恥とは、舌ぺろりの元看護婦であり、江藤淳のいうところの、形骸ではないということである。この考えには私も全面的に賛同する。
人間の恥とは、そんな目に見えるような恥ずかしさではなく、もっと深く根深いところに依拠していると思う。
我々が今やらなければいけないことは、「炎熱の広場にて」の言葉を借りるならば、
『書くのでも撮るのでも評じるのでもなく、内周の闇に割りこみ、ひたすら黙して運ぶのでなければならない。
(中略)斃れた他者を運ぶか拭うか抱くかして、沈黙の闇と臭気に同化するよう心がけよう。書くのではなく。見るのではなく。語るのではなく。』
http://ameblo.jp/use04246/entry-10015267454.html
- 感想投稿日 : 2008年10月26日
- 本棚登録日 : 2008年10月26日
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