今私は、誠に馬鹿げた方法で本を探している。大型の書店にある文庫本の棚の前で、ココからココまでと決めて、棚一個分、大体一千冊ぐらいを一気に立ち読みする。そうやって、あるテーマについて書かれた場面が登場する小説を一冊でも多く探し出すのだ。一日千冊が限界のほとほと疲れる作業だ。
その馬鹿げた作業はどうでもいい。どうでもいいんだけど、目的の本じゃなくて、アレっ、とかオヤっていう目的とは無関係の素敵な本との出会いがあったりする。こういう余録の方が嬉しいのは古写真整理や手紙の片づけとまったく同じである。
嬉しい余録の一等賞がこの一冊。
書棚で目に留まって目次を開くと、冒頭に「能古島の家」と題された10何ページかの文が載っている。
福岡から船で10分の近くに浮かぶ、なんとも魅力あふれるこの島を訪ねたのは二年前だ。檀一雄が最晩年を過ごし、自身が『火宅の人』の中で描き、沢木耕太郎が『檀』で詳述したその家をどうしても見てみたかったからだった。
対岸まで船で10分。盛り場まで30分。その盛り場の明かりも福岡ドームも見下ろせる丘の上の家なのに、こちらまで押し掛けてくる人も車も決してない。なんていい立地なんだ。その家の周りをぐるりと歩いてそう思った。敷地の北東角、ちょうど船着き場の真上で福岡も一番よく見える辺りに立って、もう立ち去ることができないと思うほどの感慨を味わった。
ページをめくると、最初のページに手書きの間取り図が書いてある。居間には「レンブラント自画像(複製)」とやはり手書きの書きこみがある。このカワイイ女文字は当然檀さんの自筆だ。
『火宅の人』を読めば、生涯最後の放浪のはてに辿りいたスペインの美術館で、レンブラントの自画像に出くわした檀一雄が、この絵に異様な感動を覚えるシーンを見つけることができる。私の解釈では、そのとき檀は自らの身勝手で孤独な魂と、自己コントロール不能な才能とを、その一枚の絵の中に投影していたのだと思う。
手書きの間取り図には、その複製画のところに矢印で、「父が毎朝敬礼していた」とやはり手書きで書いてある。
さらには、図の右上の端には、矢印で「船着き場と対岸が見える」と、さらにさらに、そこには小さな手書きの○が二つ。「父母が舟に手を振っていた場所」とある。
鳥肌が立った本は買い、泣けた本はレビューを書く、が私のルール。今回は一挙に来た。
2年前そこを訪れた時、一人の作家が確かにそこに居たのだという実感があった。だが、そこは、父と娘のかけがえのない思い出の場所でもあったのだ。「娘」も確かにそこに居たのだ。後に続く記述の中では、死の直前無一文だった父に代わって、この能古島の家の購入資金を賄ったのは娘だったことを知ることができる。そのころ著者はまだ二十歳そこそこだったはず。でも子供心によく覚えているが、そのころ既に檀ふみは青春ドラマの売れっ子スターだった。
執筆中の『火宅の人』がもし売れたら、くみ取り式のトイレを水洗にしようね、と語り合った逸話もじんと来る。石神井の家の垣根を直す費用を捻出するために、家族総出でコカ・コーラのCMに出演したエピソードなんかも後段で出てくるのだが、この死の直前の「父」は、その自分の最後の作品がトイレの改修どころか家何軒か分の大ベストセラーとなることは知らないまま亡くなるのだ。
檀一雄記念館とするために福岡市からその家を譲ってほしいと申し入れを受けたとき、
「ここで、夜景を眺めながら、ゆっくり飲んでみたいと、私はしびれるように思った」
そう思って売るのを止めたのだという。
そのくだりを読んで。読んでいる私もしびれた。
最後はこう締めくくられている。
いつかそこで、「父の好きだった音楽を聴きながら、静かにお酒を飲もう。そのとき、きっと父は私のかたわらにいる。なんだかそんな気がしてならない」と。
そこにはひとりの男と、そして娘が、確かに居たのだ。
- 感想投稿日 : 2011年2月27日
- 読了日 : 2010年4月7日
- 本棚登録日 : 2011年2月27日
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