経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか

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  • 東洋経済新報社 (2010年4月9日発売)
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本書は「経済危機のルーツ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」となっている。アメリカ、ロンドンの金融革命の解説とそれにモノづくり社会から抜け出せず、適応できなかった日本について解説されている。グーグルは、あまり出てこない(笑

「おわりに」で著者は本書はある意味で自分史であると書いている。

“60年代の末に最初に留学したとき、私は目がくらむばかりのアメリカの豊かさに圧倒された。

そして、日本がほとんど問題にされていないことを、認めざるをえなかった。だから、私は、「東洋の小さな国から来た留学生だ」という思いを持ち続けていた。
…いま統計データを見ると、その当時(メイドインジャパンが世界を席巻した70~80年代)の日本経済が本当に実力を持っていたかどうかに、大きな疑問がわく。80年代に日本が持っていたのは、高い生産性と高い利益率ではなかった。単に量的に拡大しただけだった。グローバリゼーションとはいうものの、工業製品を売っただけで、資本や人的資源のグローバリゼーションは、何も進まなかった。むしろ、70年代の初めまで持っていた対外志向が段々弱くなり、閉じこもり志向が強くなっていった。
一方、アメリカやイギリスの底力を感じ続けざるをえなかった。都心は廃墟のようになっていったが、郊外はますます豊かになっていった。そこに立ち並ぶ住宅の豊かさ!そして何よりも、大学が強いということを認めざるをえなかった。住宅と大学については、とてもかなわないという思いから、どうしても脱却できなかったのである。80年代に日本が世界経済を制覇してゆく過程においても、その思いは少しも変わらなかった。
私はいま、40年を経て元の地点に戻ってきた思いを強く持っている。日本は再び世界から忘れられ去られ、東洋の小さな島国に戻りつつある。
ただし、いまと40年前のすべてが同じであるわけではない。最大の違いは、40年前にわれわれが持っていた「希望」が、いま日本にないことだ。40年前のわれわれは、「明日は今日より豊かになる」と確信していた。
それは、われわれが貧しかったからである。貧しさこそが、われわれの希望の源泉だった。
それから日本は豊かになった。もはや、そのときの貧しさに戻ることはできない。では、豊かになってしまった日本に希望はありえないのか?決してそうではあるまい。”

こう述べて著者は、謙虚に外から学ぶ姿勢を今忘れてしまっているのが問題ではないかと説いている。その通りだと思う。老害がいつまでもいるようではダメだと言うけれど、自己批判と謙虚さと学び続ける姿勢が無ければ何歳だってダメだ。50過ぎたら給与がガタ落ちしていく大企業のシステムは現実的なのかも知れないけれど、それで組織、会社、仕事として是として生きていたら、そりゃあ社会から希望が無くなってもしょうがない。

・共産主義国家との対決で、アメリカは一歩もひかぬ姿勢を貫いていた。62年のキューバミサイル危機を克服したアメリカは、熱核戦争を現実の脅威として捉え、それに勝ち抜くつもりでいたのだ。
核シェルターが、大学のどの建物の地下にも設置されていた。高速道路の休憩所には、核戦争の際の注意書きが掲示してあった。「突然強い閃光を見たら、何でもよいから遮蔽物の陰に隠れろ」という警告である。
>>/> こういう、直接的な強さがあるよな、アメリカは。

・クラウゼヴィッツは、『戦争論』のなかで、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という有名な言葉を残したが、第四次中東戦争におけるアラブ産油国は、この逆を実行したわけだ。つまり「原油禁輸」という「他の手段」をもって、戦争を継続したのである。
>>/> 逆の見方と並べる視点は好きなのだけれど、違和感。近代国家では珍しいのかもしれないけれど、思考としてはいくらでもあるような。テロとかネオナチとか、武力があれば本当はいくらでも戦争したいと思っている輩。それはおくとして、戦争を政治の手段として有機的に捉えられる、把握できる政治家って想像つかない。政治屋と戦争屋の組織の隔たりが大きい気がする



・市場経済がそもそも解決しえない問題が存在することは、もちろん認識されている。それは公共財と外部経済が存在する財に関しての資源配分だ。そして、市場が実現する所得分配は、必ずしも望ましいとは言えないということも認識されている。さらに、現実の経済においては、情報の非対称性が存在すること、また市場価格が時としてバブルを引き起こすこと、などの欠陥も認識されている。
…こうした考え(それでも市場を否定すべきでない)は歴史的に見れば、20年代の経済体制論争にまで遡ることができる。そこでのテーマは、「社会主義国家の中央集権的計画経済は、市場メカニズムに代替しうる資源配分メカニズムになるうるか?」ということであった。
これに対するオーストラリアの経済学者ルドウィヒ・フォン・ミーゼスの結論は、「中央集権型の社会主義経済では、経済計算は不可能である。したがって、合理的経済活動を行うことはできず、必ず破たんする」というものだ。この考えは、ミーゼスの弟子であったフリードリッヒ・A・フォン・ハイエクによって、さらに深められた。とくに経済主体間の情報の交換について、きわめて深い洞察が示された。そして「インセンティブと両立し、しかも情報の効率性を実現する仕組みは、何らかの意味で価格に頼ったものにならざるをえない」という命題が、第二次大戦後にレオニード・ハービッチによって数学的に厳密な形で示された。
>>/> 難しい。情報の効率性を担保する別のインセンティブが必要、と理解したのだが正しいのか。wikiで調べたらレオニード・ハーヴィッツ、になっていた。メカニズム・デザインの研究でノーベル賞を受賞している。大阪大学教授安田洋祐氏のブログによると、完全競争市場を前提とした従来の経済理論と異なり、設計された様々な経済制度を統一的に分析できる視点とのこと。面白そう。研究を紹介した本が無いかな~?

・共産党の宣伝文書に「現在のソ連は社会主義経済だが、やがて発展して共産主義経済になる」とあるのだが、社会主義経済と共産主義経済はどこが違うのか?」と疑問を抱いた男が、「共産主義経済でも盗みはあるのでしょうか?」と尋ねた。
それに対する答え。「共産主義社会で盗みはないでしょう。なぜなら、社会主義の時代にすべて盗まれてしまっているからです」
このアネクドートを聞いたとき、「社会主義経済に対するもっとも正確な説明だ」と感心したのだが、オリガーキーのことを知って、この理解は浅かったと思い知らされた。ソ連社会主義経済において、国営企業は盗まれずに残っていたのだ。
>>/> オリガーキーに国営企業を盗まれて、資本主義経済に発展してしまいました(笑

・70年代に、住宅金融公社に集められたモーゲッジ(住宅ローン)を対象として、「証券化」が行われるようになった。これは、多数のローンをまとめ、それを担保にしてMBSと呼ばれる証券を発行する仕組みである。
…このころに行われていた証券化は、元となる住宅ローンの元利金をそのまま証券購入者に支払うものであるため、「パススルー型」と呼ばれる。これには、いくつかの問題があった。最大の問題は、リスクと利回りの点で、投資家の要求に必ずしも応じられなかったことである(経済情勢の悪化で住宅ローンの不履行の影響を受ける割に、利回りが高くない。金利の低下で満期になってしまい、自分で必用な時期を選べない。そこから償還の順位に従って証券を三つに切り分ける方法が開発された。シニア・メザニン・エクイティで順にリスクと利回りが高くなる。)
…これは、金融の効率性を引上げる技術革新だ。住宅購入者のコストが年間170億ドル(1兆7000億円)節約されたという研究がある。このように、住宅ローンの証券化は、消費者にも多大の利益を与える、明らかに有意義な金融革新だったのである。
…しばしば、「証券化やCDOは、金融工学を駆使して作られた」と言われる。しかし、これらの金融商品を作るだけなら、金融工学もファイナンス理論も必要ない。理論が必要なのは、これらの資産がどれだけの価値があるものかを評価する「価格付け」なのである。そのもっとも重要なところでファイナンス理論が使われず、「格付け」という不完全な手法が使われた。それが問題だったのである。
>>/> そう!ニュースなんかでサブプライムを見ても、こういう体系だった知識は本当に手に入らない。2007年から、えー7年ほど経ってやっとですが(T_T)。情報入手経路がマスコミである事の恐ろしさ。。

・「リスクの移転などあまり大した問題ではない」という意見があるかもしれない。しかし、長期的に見れば、社会がリスクにどのように取り組めるかは、国や経済圏の命運を左右するほど本質的な重要性を持つ。
15世紀末の世界で、工学的・自然科学的技術では中国に劣っていたヨーロッパが大航海を行い、活動範囲を飛躍的に広げて近代を拓けたのは、保険や分散投資などの「社会科学的技術」によってリスクに挑めたからだ。また、サイズの小さい国が多数存在し、商人の力が強かったことも大きな意味を持った。それに対して、火薬や羅針盤などの工学的技術においてはるかに進んでいた中国が太平洋に向かっての大航海を行わなかったのは、極度に中央集権化された国家体制がリスク挑戦を回避したからである。その後「発明」された株式会社制度も、ヨーロッパのリスク挑戦能力をさらに拡大することとなった。
>>/> これは大きい。アメリカも大きな大陸で州の力が弱く、大国として歴史を重ねればそうなったと思う。ロシアも中央集権的で、長い目ではそれがリスク回避傾向を持つだろう。松岡正剛も言語の成り立ちの例でinsurance(保険)という言語一つとっても、とこの時期の話を例証してスピーチしていた。日本もjapan(S)を意識すべきである。本当に。

P:336 推定文字数:24880(34行×40字×P) 抜き書き:2198字 感想:1026字 付箋数:7
(対ページ付箋:1.91%、対文字抜き書き:0.88%、対抜き書き感想:46.6%)
※付随して読みたい本「愚者の黄金(ジリアン・テッド)」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2014年6月13日
読了日 : 2014年6月13日
本棚登録日 : 2014年6月13日

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