相倉久人にきく昭和歌謡史

  • アルテスパブリッシング (2016年9月10日発売)
4.50
  • (1)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 21
感想 : 1
5

<blockquote><b>相倉</b> ポップスというのは完全に20世紀の発想で、ポップスはジャンルじゃないんですよ。(P.24)</blockquote>

<blockquote><b>松村</b> 日本の民謡を素材にすれば日本のジャズになるのかというと、そんな単純な問題じゃないですよね。
1980年代に出てきたニューミュージックをそれ以前の歌謡曲とは違う洋楽ぽいものとして捉えてきたけれども、ある中国人ミュージシャンに凄く日本的に聞こえると言われて驚いたという。

「日本のジャズをあえて作る必要はない」と相倉は述べる。
→文化というものは国柄がにじみ出るものなのであろう。風土や言語といった特製がメロディの趣味やハーモニーの志向、リズムの組み立て方などに滲み出てくるのだと思う。


<b>相倉</b>
いつも強調しているんですけど、音楽ってとくにそうで、じつは体質的ににじみ出す色のほうが大切なんです。メロディの作り方やリズムみたいな、そういうものだけで出そうとしても無理なんです。これは、身にしみて知っている人がいっぱいいる。(P.50)</blockquote>

歌が巧いかということに関して、昔は基準がちゃんとあった。不特定多数の人が何となく共有していた。美空ひばりが出てきたときに「グロテスクだ」と評されたのは有名な話だが、それはそういった基準から外れて子どもらしからぬ歌の巧さだったからにほかならない。
→ 何か基準があるという意味ではいまでも変わらないとは思うのだけれど、その基準がより杓子定規な数値化されたモノになっているように思う。

点数が出るカラオケがあるが、当初はそういった共有化されていた感覚に数値を近づけていったのだろうが、カラオケが音楽への接し方の主流になるにつけ、感覚を数字の方に近づけていったように思える。

メロディのピッチの正確さ。テンポの正確さ。声量の有無。
ビブラートしたメロディはNG。走ったりズラしたリズムもNG。声はハツラツとしていればよい。このような一面的な感覚になっているように感じる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年11月20日
読了日 : 2017年1月17日
本棚登録日 : 2018年11月20日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする