曇る眼鏡を拭きながら

  • 集英社 (2023年10月26日発売)
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感想 : 7
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J.M.クッツェーの翻訳者として知られるくぼたのぞみと、韓国文学の翻訳者であり紹介者でもある斎藤真理子が一年に渡り、幼少期の記憶から翻訳者という仕事、それぞれの訳業や社会情勢に至るまでさまざまに意見を交わした往復書簡。


1950年生まれのくぼたさんと1960年生まれの斎藤さん、ちょうど10歳違いの二人は、元々藤本和子の本を復刊させたいという熱意を持つ女性翻訳者と編集者たちの集まり、〈塩を食う女の会〉での飲み友だちだという。
そんなわけで、本書は翻訳者としてのスタートから藤本さんに師事していたくぼたさんと、ブローティガンの訳書より先に『塩を食う女たち』に出会っていたリアルタイム読者の斎藤さんによる藤本和子著作の解説書のような一面も持っている。まさに復刊に合わせて今藤本和子を読んでいる私にはうってつけの一冊だった。フェミニズム、母と子、翻訳と文脈、差別問題など、ほとんどのトピックが藤本さんを起点にして派生していく。
二人の翻訳談義はとても刺激的で面白い。ゼロからさまざまな仕事を引き受ける編集よりも、原文という道を散歩するような翻訳のほうが自分に向いていたという斎藤さん。「すでに完成された文章を、あたかも自分が書いたかのように日本語にしていく。これほど完璧な『形而上学的逃避行』はありません」と返すくぼたさん。二人とも詩を書く人であり、徐々にくだけていく文章のなかにも読む快楽がある。
どれも有意義で楽しいが、特に〈訳者あとがき問題〉に関するやりとりはとてもよかった。歴史的・社会的背景の説明をしなくてもよいと考えられるのは、やはり翻訳界の特権階級(英米文学)であるということ。翻訳を読むということは、その作品を受容した社会と向き合うことでもあるということ。
二人の話題は多岐に渡り、全部に触れることはできないけれど、たけくらべが「究極の『反・赤毛のアン』」と表現されたり、斎藤さんが超ド級の記録魔だったり、ブローティガンの朝鮮人差別発言をパク・ミンギュに話したらそれが短篇小説になっちゃったり、あるいはアイヌや琉球や東アジアに対する侵略者であるという意識の話など、どれも興味深かった。二人の問題意識は多和田葉子『言葉と歩く日記』にも近い気がする。
一番じわじわと効いてきたのは、二人とも子を育てた親であるが、母親目線で子どもを語るのは難しいというお話。母であることを肯定するフェミニズム論がまだ十分でない、という指摘もハッとさせられた。そんななかでも、藤本さんの黒人女性への聞き書き本にはインタビュイーにシングルマザーが多くいて、今なお先駆的な仕事なのだということも。私は最近人に「子を作らない人生を肯定してほしい」と勝手な期待を抱いていたことを自覚したばかりなのだが、斎藤さんが子育てに忌避感を持つ若い世代にシンパシーを寄せているのを読んで少し救われる気持ちがした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2024年3月14日
読了日 : 2024年3月12日
本棚登録日 : 2024年3月14日

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