吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫) (創元推理文庫 502-1)

  • 東京創元社 (1971年4月18日発売)
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感想 : 94
5

19世紀末、イギリスの弁理士ジョナサン・ハーカーはロンドンの地所を購入したドラキュラ伯爵を訪ねるため、東欧トランシルヴァニアへやってきた。ジョナサンを迎えてくれたドラキュラ老人は親切ながらも、城には不穏な空気が立ち込めていて……。一方、イギリスにいるジョナサンの婚約者ミナは、友人ルーシーの日に日に酷くなる夢遊病に悩まされていた。ルーシーの友人で精神病院を営むジャックは、オランダ人の師匠ヴァン・ヘルシング教授に助けを求める。15世紀の伝説的軍人ヴラド三世と吸血鬼を接続し、19世紀末の大都会ロンドンを悪夢に引きずり込んだヴァンパイア文学の古典。


長らく積んでいたのが申し訳ないくらい、実際読んでみるとめちゃくちゃリーダビリティの高いエンタメ小説だった!出版当時バカ売れして続々映像化されたほどの人気作なのだから、身構える必要はなかったのかもしれない。展開の速さ、情報開示のテンポ良さ、歴史や伝承にまつわる蘊蓄の面白さなど、とても現代的な作風で読みやすく、1日で読み終えてしまった。積読本ってこういうことある。
読んでみてわかったこと。いま我々が吸血鬼と聞いて思い浮かべる紳士的で貴族然とした姿は『ドラキュラ』を源流とするイメージだが、それに伴う耽美的な要素はこの小説には全くない。ジョナサンが出会うドラキュラは貴族だけどヒゲの長いおじいちゃんだし、食事の支度やベッドメイクなど城を一人で切り盛りし外壁をトカゲのように這い降りるアグレッシブさはあるものの、誘惑者としての魅力に欠ける。ジョナサンに対する誘惑者の役は三人の吸血女が担っており、彼女たちには『カーミラ』や『死霊の恋』の系譜に連なる妖しい魅力があるものの、これもあっさりとドラキュラおじいちゃんに邪魔されて終わってしまう。
では『ドラキュラ』にエロティシズムがないのかというとそうでもない。全体に漂うのは、いわゆる"NTRフェチ"の空気感である。ルーシーという超重要人物の存在を私は読むまで知らなかったのだが、彼女が三人の男から求婚され、フラれたうちの一人である医者が彼女を治療するというパートがロンドン編前半の主軸。ルーシーへの輸血をめぐってアーサーとジャックが起こす悶着には「吸血・輸血はNTRの比喩表現であること」が匂わされており、ジャックの日記に吐露された心情を読むと、彼の横恋慕がドラキュラのかたちをとってルーシーを衰弱させたと考えることもできる。六条御息所の19世紀英国紳士版である。
日記や手紙、電報、新聞の切り抜きなどの文章を寄せ集めたドキュメンタリー風の構成もこの小説の特徴。面白いのは後半、ミナが全ての資料をまとめ、時系列順に並べ直すところ。つまりこの時点で作中人物たちも読者と全く同じものを読み、情報を共有していることになるのだ。それによってミナが立てた推理のフェアネスも担保される。
そう、『ドラキュラ』は19世紀ロンドンの街が不死の怪物に襲われる怪奇小説でありながら、同時に怪異や迷信を当時最先端の精神分析や犯罪心理学を用いて駆逐しようとする、とても現代的な伝奇ミステリーでもあるのだ。精神病院から逃げ出した患者と難破船の狼の噂をトランシルヴァニアの吸血鬼につなげる手口は都市伝説の成立過程を思わせるし、ヴァン・ヘルシングは「世の中には、きみの知らんことが山ほどあるということ、自分の見ないようなことを見ている人があるということを、きみは考えておるか? 人の説で知ったり、人の説で考えたりするために、肝心のその人間の目で見ないでいることが、世の中にはたくさんあるのだぜ」と、ほぼ中禅寺秋彦そのものな台詞を吐く。講談社ノベルスのノリで読めてしまうのだ。
ヘルシング教授はドラキュラに次いで読む前と後でイメージがガラッと変わった人。退魔のプロというイメージが先行しているが、実は精神医学の大家として登場し、「精神科やってると吸血鬼なりかけの患者を診ることもあるよね〜」ぐらいのノリで対処法を身につけているアグレッシブおじいちゃんだった。ドラキュラもアグレッシブ爺なので、この小説はアグレッシブ爺同士のバトル小説。ヘルシングはドラキュラを追い込むときにもロンドン警察に怪しまれない方法を細々考えたりと実際的で、この人が中心にいる限り幻想耽美に転ぶ余地がない。オランダ人で大陸側の人間というのもミソ。
ドラキュラに襲われる乙女役のミナが、速記文字で日記をつけ電車の時刻表を暗記しタイプライターでガンガン情報を整理する19世紀末の〈新しい女性〉だったのも新鮮な驚きだった。それだけに終盤ヴァンパイアハントから仲間はずれにされるくだりは悔しかったし、最後はミナにとどめを刺してほしかった。
ミナに限らず、作中人物みんなが怪異への対抗手段として〈書く〉ことが有効だと信じているのも、ストーリーと形式が一体化してて面白いところ。読了後に高山宏先生のドラキュラ論「テクストの勝利」(創元ライブラリ『殺す・集める・読む』収録)を読み返したら、『ドラキュラ』は18世紀民話採集ブームから『金枝篇』がでて民俗学が成立した過程を汲んだ"メタ-民話テクスト"だ、と語られていた。口承だった民話が文字として定着することで魔法の力を失っていったことをも取り込んだ小説だということだろう。100年以上経っても面白さが衰えないのも納得の、よく練られたエンターテイメントの傑作だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2021年11月9日
読了日 : 2021年11月6日
本棚登録日 : 2021年11月9日

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