嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸 (電撃文庫)

著者 :
  • KADOKAWA (2013年3月28日発売)
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感想 : 6
3

入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸』読了。

ある不幸をきっかけにズレていってしまった主人公たちが、連続猟奇殺人事件をきっかけに少しずつ変わっていく、その過程を描いた物語。陰鬱さと不穏さとがライトに描かれていて、リズム感のある比較的軽い文体なのに、胃に際限なく重湯を注がれているような感覚がする。
できればもっと若い時、中学生か高校生か、それくらいの時に読んでおきたかった作品だった。大人になった今では、本来この物語が刺さるのであろう部分の感覚が鈍化してしまっており、「こういう部分が好き」「こういうところは嫌い」「昔はこういうのがたまらなく響いた」「今感じているものは共感や実感じゃなくてノスタルジーだ」とメタ認知してしまい、素直に受け止められなかった。
これは軽妙さと異常さとミステリの手法で「キャラクター」を描いた作品だと思う。

[「あれをやったの、みーくん?」  何気ない口調の質問だった。根拠も脈絡もないのに、語尾の疑問が弱い。 「いいや」と、僕は噓をついた。]

この部分が叙述トリックに置いては最も秀逸で、テーマやキャラクターの特性を活かしたこの作品ならではの部分と言える。否定を地の文で否定しているので、肯定していることになるが、「僕」が指しているのは本物の「みーくん」であり、模倣者としての「ぼく」こと「☓☓」ではない。

また、「☓☓」は自身のことを作品を通しては「ぼく」と呼ぶが、冒頭から御園マユと会うシーン

[僕と御園マユは、八年前の誘拐事件の被害者だった。]

までは「ぼく」とも「僕」とも読んでいない。主語が抜けた文がほとんどである。再会のシーンからは「僕」と呼んでおりここから「みーくん」を演じるスイッチが入っている。

主語を外しているのは作者の技巧であると思われ、叙述トリックが機能する必要のない種明かし後は以下のように両方の呼称を使い分けている。

[ぼくに戻るか、僕であり続けるか。]

テーマとしては、「☓☓」という自分の名「I(私)」を捨ててまで「まーちゃん」を守るということの是非と覚悟という面が大きい。
過去に罪を負ったものは幸せになれるのか? 許されるべきなのか?
という通底するテーマが作品の背景にある。
主観的な「幸せ」の背景には不幸があって、その「幸せ」を保とうとする「まーちゃん」の防衛機制を病として治してしまえば、それは彼女を犯罪者として自認させることであり、同時に「みーくん」の否定と喪失につながる。
そのジレンマとどう向き合っていくか、それがこの先の物語では描かれるのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ライトノベル
感想投稿日 : 2021年12月11日
読了日 : 2021年12月5日
本棚登録日 : 2021年12月11日

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