著者 :
  • 集英社 (2021年4月5日発売)
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感想 : 32
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 絶妙なトリオによるJAM SESSION。
「もはや『戦後』ではない」(昭和56年「経済白書」)以降の良き昭和の空気感が、戦後や60年安保の残り香を吹き払おうという時代を背景に、まだ何者でもない若き精神の迷いの日々を鮮やかに描いた著者の最新作。

 登校拒否の高2の薫と、シベリア復員兵の大叔父・兼定、その兼定の経営する海辺の町のジャズ喫茶の店員・岡田が主な登場人物。夏休みのひとときを、なんらかの「過去」を引きずる大人たちと過ごし、曖昧模糊としていた自分の立ち位置や、生きることの意味や「未来」についての手ごたえを感じはじめる思春期の日々。太平洋の海と砂浜のまぶしい光を見るように、終始、目を細めながら読み進められる瑞々しい作品だった。
 薫の青春の夏のひと時がメインテーマではあるが、ときおり、兼定、岡田がソロを取るパートがある。そのあたりの“ソロまわし”もJAZZのセッションのようで面白い。

 タイトルの「泡」は、最初、なんのことだろうと思う。

「こんどは腹筋に力を入れ、湯船のなかで下腹の空気を押し出して、泡を立てる。」

 こんな表現が出てくる。要はおならだ。呑気症の薫の放屁の悩みのひとつの象徴でもある。あるいは、「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて・・・」と方丈記で鴨長明が例えた人の生のことでもある。

「砂浜に海水が吸い込まれると、小さな泡がつぷつぷとつぶれながら消えてゆく。その小さな音がする。自分もこの泡のように、いつか消えてゆく ― それまでにできることはなんだろう。」

 自分の悩みのタネであった泡から、自分の人生のメタファ―としての泡まで、泡を通じて、その感じ取り方から少年の成長が描かれていた。
 いや、むしろ、あわてて成長しなくてもいいんじゃないか、と本書は訴えているのかもと思える。
 集団生活からドロップアウトした薫を、大叔父兼定も岡田も、特に構えた風もなく受け入れる。それぞれに、集団、組織、あるいは家庭というものに馴染めなかった過去があるのではなかろうかということを匂わせる大人たち。だからといってアウトローな人生を進めるのでもなく、自然体の対応が、非常に常識的で、著者の良心を感じさせる。

 とはいえ、岡田にこうも言わせる。

「学校になんか行かなくてもいい。集団に慣らされたほうが気持ちは楽だけど、集団はまちがえるから。しかも真面目で熱心なのがいると、もっとひどいことになる」

 太平洋戦争を体験した兼定、おそらく戦後安保あたりの時代を生きた岡田を通じ、今の世の中における長いものに巻かれる自我のない無抵抗な風潮へのメッセージではなかろうかとも深読みできたりもする。

 ジャズ喫茶を舞台に、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ウィリアムスの演奏を通じて、薫に、まだ十代と怖気づくこともない、もっと自由に羽ばたけと、さりげなく背中を押す感じも悪くない。

 薫は、夏が終わり、東京の自宅に戻ることになるが、きっとこの先、大丈夫だと思わせるものがある。高校を卒業して、大学生になって、またふらりと海辺の町のジャズ喫茶「Обувь(オーブフ)」に顔を出すんじゃなかろうか。
 そんな姿を楽しみに本を置くことができる至福の読後感。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2021年10月28日
読了日 : 2021年10月26日
本棚登録日 : 2021年10月24日

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