永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)

著者 :
  • 太田出版 (2013年3月8日発売)
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感想 : 103
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ここ数年で頭角を現してきている若き論客とのことで読んでみた。
 目立って新しいことは言ってないが、やたら被害妄想的な記述が本書では目を引く。もっと大胆に将来展望を掲げた主張をしてるのかと思ったが、批判が目立つ(まずは戦後の総括が必要だと随所に書いてはあるが)。理想や理念といったものがあまり感じられなかった。相手があっての批判。それによる己の立ち位置ではなく、自分がこうしたい、ああしたいというのを聞いてみたいと、まず思った。

 好意的に見るなら、国民を覚醒させる意図で書かれているのであろう。ならば、よし(敗戦の事実を無意識に抑圧している国民こそが主犯であるという著者の主張だ)。そう、批判は国、政府だけに向けられるものではない。国民も、その時は「終戦」を受け入れたのだし、その後の時代も享受・謳歌してきたのだから。なので、戦後これまでの暮らしは、著者がのっけから言うような”屈辱”(大江健三郎のスピーチを引用して)では決してなかったよ。鋭利な言葉で読者を煽ろうとする意図が透過しているようで引いてしまう。
 3.11後のこの国の対応、その後の福島にまつわる諸問題を以てして、戦後の対応そのものが全て批判されるのもどうかと思うが、第1章はアジテーターとして読者を煽っている導入部として読めばよいかな。事実誤認とまではいかないが、自分の論調に沿う、それを補完する事実だけを都合よく並べ立てている気がする(それもテクニックだが)。

 領土問題を取り上げる第2章からは、事実、歴史を整理して、それなりに説得力のある部分。ロシアに関わっていると佐藤優を読むことが多いが、佐藤もきちんと二国間の条文、宣言などを元に国として主張するところは主張すべきと常々説く。この著者もこう言う。
「実際にどのような文面に署名がなされ国家の意思が刻印されたのかを知らずして、国家の現在の主張の是非を判断することは決してできない」
 その通りだ。日本を取り囲む三方の領土問題(北方領土・尖閣諸島・竹島)の各々の性質の違いが分かりやすく分析されている。

 ただなぁ、若さゆえなのか、頭良すぎるのか。いや、ホントに頭がいいなら、もう少し簡素に分かりやすく書けばいいのにと思う。
「自明の事柄に属する」って、「それは当たり前のことです」って意味でしょ?(笑) 「問題は親米か反米かということではありません」て言うのを、”「親米か反米か」という問題設定は斥けられるべき偽の問いにほかならない"って、わざわざそんな論文調にするかなぁ(「斥けられる」って思わず辞書引いちゃったよ)。書いてるうちに自分の論調に酔ってくるのか。これも扇動者の性ではあるが、どうかそれは本性でなく、技法として分かって使っていると思いたい。
 あとエピローグは要らなかったでしょ。理路整然と語っていたものが、最後に、実は小さな出来事の個人的感情から出てきたものかと(それも大事ではあるけど)、理念が矮小化されてしまった感がある。

 でも、今この時代に、こうした意見が出て、それがしっかり社会に受け止められ、本書の発行部数もそこそこ伸びているのは良いことだ。日本はまだ健全なんだと思う。週刊誌(東洋経済?ダイヤモンド?引用元をメモっておくのを忘れた)で、大学でなぜレーニン研究をしてきたかと訊かれて、こう答えていた。
「革命の理念みたいなものを失ったとき、社会はどうなってしまうのか、という関心がありました。革命というのは<外部>です。<外部>がないと何がおきるかというと、人は病むのだと思います。オウム事件というのは、その病み方の一つだったのでしょう。」
 彼は、今、意図して<外部>になろうとしているのかな。

 そして単に戦後の対米従属を批判しているのでなく、そのあり方というか、時代が変われば、同じ従属であっても、やり方も変わるだろうと言っているのだと思う。そして、まだ我々は変わることが出来る、その選択があることを言っているのだろうな。
 日米同盟も、もう過去の形では今後永続しない(日米同盟が終わるリスクがあるという著者の指摘は当たっていると思う)。ただ、同盟が終わって、再びアメリカと事を構えるかというとそれは違う。現在の敵はそっちじゃないよね。その時の備えを今、日本は進めている(分かりやすく攻撃の的にされやすい集団的自衛権や軍事力強化など以外にも)。 それを、「敗戦」を正面から受け止めず、「終戦」と言って誤魔化しアメリカに追従してきたことで、アメリカ、安保を盲目的に支持する右派と、己の主張もなく反対することで存在する左派がいる云々、という戦後から”永続”する対立構図で説明しようとする論調、その構図の中で今の国家としての対応を批判するのもどうかなぁ、という気がする。

 ただ、きっと著者は分かっている。分かっていてアジっている。だから、どんどん語調が論文調、演説調になっていく(あえてそうしている、と好意的に見る)。先の週刊誌のインタビューでも「国家には国家のロジックがあり、それは国民を幸せにするかどうかとは別次元のもの。」と言っている。
 国民一人一人が無関心、無自覚を脱却し、物事を判断して、選択し行動することを我々に促しているのだろう。
 そして、まだ我が国には、その「選択」が残されている。それがあれば、いいじゃないかと思う。どっちを、何を選ぶのも自由だし、結果は後の世になってみないと分からないものだから。

 今はまだ、しょせん<外>からの意見でしかないが、著者にはいずれは中からの破壊者になってほしいなと思った。感情的に、なんの覚悟も出来てない輩の遠吠えかと思わせる前半を読んでいる時、ふと「侍ジャイアンツ」という子供のころ見たTVアニメを思い出していた。
 読売巨人軍が嫌いな主人公。漁師の父をクジラに殺された体験から、クジラ≒「強くてデカくて威張った奴」に異様な闘志を燃やし、巨人を野球界のクジラとしてアンチ巨人、打倒ジャイアンツを目的とするが、川上哲治監督に、外からギャンギャン言ってないで、中に入って内側からその腹を破れと説得される(そして巨人軍なんてちっぽけなものでなく、野球という大きなものを変えていってくれという川上哲治の願いを叶えていく物語)。

 本書の中のこんな文章を読むと、そのつもりはあるのだろうなという気もする。
「私は、国体なるものの本質とその戦後における展開の軌道を見通し得たと信ずる。問題は、それを内側からわれわれが破壊することができるのか、それとも外的な力によって強制的に壊される羽目に陥るのか、ということに窮まる。前者に失敗すれば、後者の道が強制されることになるだろう。それがいかなる不幸を具体的に意味するのか、福島原発事故を経験することによって、少なくとも部分的にわれわれは知った。してみれば、われわれは 前者の道をとるほかない。」

 批判だけじゃ何も始まらないよ。でも、甘んじて現状を受け入れる無自覚な者は目を覚ませ、と。そして、あとがきでガンジーの言葉を引用して著者は筆を置く。

「あなたがすることのほとんどは無意味である。それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、あなたが世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

 本書の主義主張はともかくとして、大いに知的刺激を受けた一冊だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文化
感想投稿日 : 2015年11月27日
読了日 : 2015年11月27日
本棚登録日 : 2015年11月27日

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