伊賀忍法帖 山田風太郎忍法帖(3) (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (1999年1月14日発売)
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感想 : 35

 子供の頃、忍者に憧れた経験を持つ人は少なくないであろう。ともすれば、とっくの昔に大人になっていながら、いまだに忍者への夢や憧れを捨てきれないでいる御仁も多いのではないかと思う。そう、滋賀県甲賀市で開催される『全日本忍者選手権大会』にうっかり参加してしまい、手裏剣投げや城壁登りに躍起になるタイプのピュアな御仁が、この世には確かに存在しているはずなのだ。

 私の場合、ピュアではないので『全日本忍者選手権大会』にエントリーこそしなかったが、二十数年前までは、(大きくなったら忍者になりたい!)とかなり本気で思いつめていた子供の一人であった…。思えば、私が小学校低学年の頃は、『小学一年生』などの学童向け雑誌に「忍者特集」というのがよく載っており、「これを実践すれば今日からキミも忍者だ!!」的な、いたいけな子供をけしかけるような内容が書かれていたものだった。

 当時の私はその記事を忠実に実践し、石垣を登る訓練を行ったり、跳躍力を身に付ける為に庭の植え込みを「とぅッ!!」と日々飛び越えたり(本当は日に日に成長する麻を飛び越えるのが最も良いとされるが、我が家に麻は植わっていなかったので、つつじの前栽などを利用していた)、走破力向上の目的で、ズボンの尻側に長く切り取ったトイレットペーパーを挟んでは、それが地面に付かないように全力疾走したり、戦があるわけでもないのに、兵糧丸を作っては部屋の片隅でモソモソ喰らったりする、激しくイタイ子であり、いちじるしく家人を困惑させる子であったわけだ。

 しかも私は女忍者、いわゆる「くの一」になりたいわけではなく、黒衣に身を包み、颯爽と任務を遂行する男の忍者になりたかったのである。そして、忍者として何をしたいかと云うと、かなり限定された妄想で恐縮なのだが、自分が仕える美しい姫君を護りたいのであった。人間誰しも、身体的な性別に関わらず、自らの心の中に女性性と男性性を有しているだろうと思われるが、私の中の男性性はとにかくカッコいい忍者に憧れるという性質を持っていたのである。

 姫君を護る忍者になったら云ってみたい台詞というのがある。(無理に忍者でなくとも武将とかでも云えるのでは?という疑問はこの際さておくことにする)
姫君が幼い間は、彼女がお転婆なことをするたびに、どこからともなく走り出て、
「姫! 危のうございまするぞ!」
 そして、姫が美少女へと成長していくにつれ、忍びのギョクトはその彼女に淡い恋心を抱くのだが、しかし身分の違いゆえにその想いは秘められたまま、姫君の婚儀が成立する。相手は大藩の御曹司である。輿に揺られ、嫁入る姫君の花嫁行列を木々のこずえから見守りながら、
「姫よ…おさらば。どうかくれぐれもお達者で…」
 けれども、嫁いだ先では様々なお家騒動がうら若き姫を襲ってくる。家督争いに、漁色家である夫への苦悩、家臣たちの裏切りに、夫の愛妾達による正室(姫)の追い落とし作戦…、これでもかというほどの艱難辛苦に絶える姫を木陰から見守りつつ、忍びのギョクトは苦渋に満ちた表情でこう呟く。
「おいたわしや…」

 そう、私は臈(ろう)たけた麗しき女人に「おいたわしや」と云ってみたくて仕方がない人間なのである。全ての幸福を手に入れていそうな絶世の美女が、その実、とんでもない苦労に見舞われており、それを「おいたわしや」と同情することで、手の届かぬ、その身分の高い臈たき女人の運命に同等の立場で寄り添う、そんなことに快味を感じてしまう私は「隠れ変態」なのかもしれぬ。

 ちなみに云ってみたい台詞はまだほかにもある。
「義によって助太刀いたす!」「そのほう、無礼であろう!」「慮外(りょがい)である!」「あれを御覧(ごろう)じませ!」などなど。現代生活ではこれらの台詞を口にすることは滅多に、というか全くないが、将来タイムマシンが実用化されて、時空トラベルが出来るようになったら、私は時代劇によく取り上げられる年代に行き、こういった台詞を思う存分吐きながら、馬上から矢をつがえ、のっぴいてひょうと討つことを愉しみたいと思っている。(弓矢なんて触ったこともないけど)

 話が脱線した。面目ない。

 この『伊賀忍法帖』は、そんな私の「お姫様護りたい病」を癒してくれる忍法小説である。今、私は「忍法小説」というジャンルを勝手に作ってしまったが、山田風太郎氏のこの忍法帖シリーズがなかったら、「忍法」という言葉もここまで広く人口に膾炙しなかったと思うから、ここはあえて「忍法小説」とさせて頂こう。

 『伊賀忍法帖』の時代設定は戦国時代である。しかし、織田信長や羽柴秀吉といった華やかな役回りの戦国武将は登場しない。登場するのは松永弾正(だんじょう)久秀である。彼は、信長や秀吉が実力を蓄え、歴史の表舞台に立つ以前、日の本六十余州において権力を一手に握っていた人物であり、主君の三好長慶(みよしながよし)の勢力を奪い、将軍・足利義輝を弑殺し、奈良は東大寺の大仏殿を焼いて毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を赤銅(あかがね)の湯に変えた張本人として知られている。

 その松永久秀が、主君・三好長慶の子息である義興(よしおき)の妻、右京太夫(うきょうだゆう)に横恋慕したことから、この作品における全ての陰謀と戦いが始まっていく。絶世の美女として名高い右京太夫を手中にせんが為に、松永久秀は幻術師・果心居士に策を練るよう命じるのだが、果心居士からの献策はそれまで耳にしたこともないような醜怪で異様なものであった。すなわち、右京太夫に淫石(いんせき)を加えて煮た茶を勧め参らせ、その淫石の効能によって彼女の心をとろかし、松永久秀を愛するように仕向けるというものであったのだ。

 淫石とはいかなるものか。
 それは何人もの美女達の媾合(こうごう)時の愛液を煮詰め、一片の固まりとしたもので、それで茶を煮、喫すると、それを飲んだ女は最初に見た男に身も心も捧げるようになるという代物であった。そして、その淫石を製造するために、松永久秀の号令一下、密やかに美女狩りが行われ始める。その任務に当たったのが果心居士により久秀が借り受けることとなった忍法集団・七人の根来(ねごろ)忍法僧で、彼らの毒牙にかかった様々な身分の美女達は、ただただ右京太夫を籠絡する淫石作りの資源として淫靡な饗宴に侍らされ、その肉体も精神も根来忍法僧らによって陵辱されていく。

 女忍者・篝火(かがりび)もまた、そんな久秀の陰謀と根来忍法僧らの悪逆の餌食となった女の一人である。彼女の夫・笛吹城太郎(ふえふきじょうたろう)は伊賀忍者であり、篝火との結婚を伊賀の仲間に報告し、許可を得る目的で、二人は逐電先から帰郷しようとしていたのだ。しかしその矢先、彼女の美貌(その美貌は後に、右京太夫と瓜二つということが判明する)に目をつけた根来忍法僧らが、笛吹城太郎の恋女房を奪ったのである。そこで、篝火は忍法僧らに陵辱される間際に自らの技・忍法三日月剣によって我と我が首を落とし、絶命した。

 けれども篝火の命をかけた抵抗も空しく、彼女の首は、忍法僧の一人である羅刹坊(らせつぼう)の人体接続の術・忍法壊れ甕(こわれがめ)によって、松永久秀の第一の愛妾・漁火(いさりび)の体と接合されてしまう。顔は右京太夫に瓜二つの篝火だが、肉体と人格は淫猥で残虐な漁火という新たに甦った女が、松永久秀をそそのかし、笛吹城太郎を苦しめながら、この物語をぐいぐいと牽引していく。反対に、漁火の顔と篝火の肉体が接合した女は、最後の力を振り絞って久秀の居城、信貴山城から淫石と名茶器・平蜘蛛を持ち出し、それを笛吹城太郎にもたらし、息絶えることになる。

 妻・篝火の死の真相を探るべく、城太郎は、淫石を取り戻そうと襲い来る七人の根来忍法僧らを相手に孤軍奮闘するのであるが、そんなさなか、夫・三好義興とはぐれた右京太夫と城太郎は、図らずも巡り会ってしまう。亡き妻・篝火にそっくりな絶世の美姫・右京太夫を守護しながら戦いに明け暮れするうちに、城太郎の心底に、純粋で心優しい右京太夫へのほのかな恋慕の情が生まれ、彼は、戦闘や篝火を失った悲しみ以外に右京太夫への想いについても苦悩していくのであった…。

 何から何までそっくりという二人の人物が登場させるやり方は他作品にも見受けられる手法ではあるが、その手法が、絶対にありえない、読者の度肝を抜く忍法や特異なキャラクター設定、ストーリー展開などとあいまって、山田風太郎氏の妖しい伝奇世界を構成する重要な要素となっている。また別々の人間の体を接(つ)ぐという発想は、医学部出身の同氏ならではのものともいえるし、しかしながらその接合方法が奇抜な忍法によっているという辺りが、単に理論でガチガチのエリートからは程遠い、本読み巧者・作話巧者としての山田風太郎氏の横顔を提示していて面白い。いや、むしろこの横顔こそが、山田風太郎という作家の真の顔なのではあるまいか。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 講談社文庫
感想投稿日 : 2010年1月13日
本棚登録日 : 2009年10月8日

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