プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫 白 209-3)

  • 岩波書店 (1989年1月17日発売)
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本棚登録 : 4074
感想 : 200

入学前に読んで、なんとなし、「そうなのか」、と言う感じで飲みこんだ気でおりましたが、とんでもない。あの時は、わからないということの意味を、わかるということの意味を、まったく分かっていなかった。エレジー。
今回縁あって、ウェーバーの研究者である鈴木宗徳先生のゼミに参加。約2カ月にわたって本書を輪読した。
ウェーバーはとにかくアツい男である。「閉塞感(本文で「殻」と)」を許さず、「閉塞感とは何か」を問い正す。本書では当時の資本主義世界の雰囲気を「今の資本主義はぬるくなっとるけど!もとはプロテスタントの洗礼された生活から生まれたものなのだ!彼らは目的合理的だったのだ!」と、今の≪非宗教的な≫資本主義の方が、どこか『宗教っぽい』との見解を示す。
そして、「閉塞感」とは閉塞感を決めてかかることに原因があるのであり、それがなにか「わかった」時点で負けなのであり、じゃあどうしたらいいのかと言うところで、「あとは自分で考えろ!」ということなのだ。
どうしたら『宗教っぽく』なくなるのかということを、宗教に問う。なんとも、ロックである。これと同じようなエッセンスを持ってる日本の哲学者で言ったら・・・矢沢栄吉とイチローさんですかね!という持論を持つに至った。宗徳先生は笑ってくれた。
法政大学で開かれた国際シンポでウェーバー研究の超代表的な存在である折原浩先生と話す機会があった。なにひとつ学問的な話はしてないのだが、とにかく「熱くなれ!」と熱く語られた。ということは、つまりそういうことなのである。そこから先は言葉にならない、してはいけない。とにかく熱い「何か」なのだ。しかし語らねばならない。何かを示さねば動き出しもしない。その矛盾の向こうにこそ、目的地はある!そして!ビールをついでもらった!嗚呼!乾杯!
僕が宗教っぽくなくなる日は、遠い。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2010年7月10日
読了日 : 2010年7月9日
本棚登録日 : 2010年5月20日

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