決戦!桶狭間

  • 講談社 (2016年11月16日発売)
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感想 : 17
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今から5年ほど前の2014年の年末に、この決戦シリーズ「関ヶ原」を読んだことがあり印象に残っています。特徴は、同じ場面を主人公を変えて(視点を変えて)書かれていることです。

私が今まで読んできた歴史小説のほとんどは、主人公から見た景色、考え方で書かれることが多かったですが、この本では、その事件に参加した主な登場人物の目から、各章ごとに書かれています。

今回のテーマは、私の最も興味のある「桶狭間の戦い」この戦いでは、今川義元、織田信長、せいぜい、改名前の徳川家康程度ですが、この本では義元嫡男の氏真、今川義元の家来、当時は蟄居中であった前田利家の視点からも書かれています。

このシリーズは他にもたくさん出されているようです。令和2年初めての三連休で楽しませてもらいました。

以下は気になったポイントです。

・今川勢の目的は、自分達とその民を食わせrことである、神社の宮司・寺の住職・町衆の長を都合の良い人間にすげ替えることができる。それがわかっているから、町衆の方が城持ち武将よりよっぽど必死であった。信長の出馬を心から喜び、率先して兵を提供した(p14)

・動かざること山のごとし、その代わり、心が決まったら迷ってはならない、「はやきこと風の如く」(p121)

・1554年、今川義元、北条氏康、武田晴信(信玄)が駿河の善徳寺に集まって攻守同盟を結んだ、この同盟によって今川は東と北の脅威から解放され、西にすべての力を注ぐことがきるようになった(p122)

・大高城は最も西にある今川方の城で、義元が尾張に打ち込んだ「楔」のようなもの、織田勢にとっては目障りなので、東側に、鷲津砦・丸根砦という二つの付け城を築いた(p140)

・戦国期の大名と国人領主たちの関係は、自家の利益と生き残りを第一とした。武田氏滅亡のさい、その本国甲斐の国衆でさえあっさり織田へ寝返ったのも、国人領主としてとるべき最善の道であり、避難されることではなかった(p162)

・今川本軍は、5月13日には朝比奈泰朝の居城、掛川城へ、14日には曳馬城(浜松城の前身)に着いた、17日には池鯉鮒(ちりゅう)へ到着。狭奈岐大明神(さなぎ)の境内の池に、明神の使いという、鯉と鮒が多く泳いでいることからついた地名と伝わる(p174)

・江戸幕府の老中・松平定信が、国を亡ぼす因として、足利義政の茶の湯、大内義隆の学問、今川氏真の歌道、をあげている(p183)

・織田が今川領を併呑してしまった場合、武田・北条と境を接することになり、領地が何百万石あっても上洛はおぼつかない(p249)

2020年1月12月日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・歴史小説
感想投稿日 : 2020年1月12日
読了日 : 2020年1月12日
本棚登録日 : 2020年1月12日

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