神社が語る 古代12氏族の正体(祥伝社新書) (祥伝社新書 370)

著者 :
  • 祥伝社 (2014年7月2日発売)
3.16
  • (1)
  • (12)
  • (12)
  • (5)
  • (2)
本棚登録 : 183
感想 : 11
4

二年ほど前に、妻に誘われて「御朱印集め」を始めました。神社に参拝したときに、御朱印帳を持っていって「御朱印」を集めるだけですが、何個も集まってくるとさらに集めたくなりますね。それを母に言ったら、彼女が持っている六冊の御朱印帳を見せてくれて、思わず会話が弾みました。

さて、日本には素晴らしい神社が沢山ありますが、この本によれが、その神社の中には古代に栄えた氏族が祀られているのもあるようです。神社を通して古代史を解説してくれている、私にとっては興味満載の本でした。

以下は気になったポイントです。


・薬1500年にわたって日本人の生活の基準となってきたものは、古代中国の思想、哲学、宗教、倫理、であるがその根幹にあるものは、易、陰陽五行、および古代天文学、道教である(p12)

・問題は、天智系の反蘇我政権が、日本書紀の中で蘇我氏を大悪人に仕立て上げてしまったこと。ヤマト建国来の歴史を改ざんし、さらに神道そのものを改変してしまった。律令制度において、藤原氏は太政官を、中臣氏は神祇官を支配した(p29)

・石切剣や神社が東大阪市にあり、いまも変わらず大阪府民の信仰を集めている、この一帯は物部氏やその支族の居住地のひとつだった(p82、87)

・大宝律令(701)完成から9年後、物部氏最後の大物、左大臣石上麻呂は平城京遷都に際し、旧都の留守居を命じられた。これは新しい政権によって捨てられたことを意味し、物部氏は歴史の表舞台から退場した(p103)

・日本書紀編纂時の権力者は藤原不比等で、彼は中臣鎌足の子なのだから、日本書紀が蘇我氏を罵倒するのはあたりまえのことである(p105)

・奈良盆地の南部は、曽我系の豪族が多く住んだ場所である、入鹿神社以外にも、甲神社があり地元では「入鹿明神」と呼ばれている(p110)

・遷都に対して法隆寺は移築を命じられたが拒み、やむなく朝廷は新しく寺を建立した、これが奈良市内に建てられた「元興寺」である。明日香は蘇我氏全盛期の土地であった(p121)

・尾張は大切な場面で、二度抹殺されている、ひとつはヤマト建国において、もうひとつは、壬申の乱(672)においてである(p151)

・古代における大和神社(おおやまとじんじゃ)の存在感は大きい、持統6年(692)には、藤原宮を選ぶに際して、伊勢、住吉(すみのえ)、紀伊、うなたりの4社とともに、この神社が奉幣を受けている。神階も非常に高く、伊勢神宮に次ぐほどの地位であった(p177)

・中臣鎌足は、百済の王子、豊しょう、であろう(p213)

・平城京遷都は藤原不比等の悲願であった、奈良盆地の南部は藤原氏が権力を握る過程で、その踏み台にして捨ててきた旧豪族たちの本拠地であった、その代表が蘇我氏、阿倍氏等(p221)

・大神神社や石上神宮といった、ヤマト建国から続いているような神社の場合、正面に見える社殿は、拝殿であり長らく本殿を造ろうとしなかった、神が下りてくるのは本殿内に祀られた御神体ではなく、裏手の禁足地や御神体山であると信じられていたから(p258)

・全国の稲荷神社は、おもなものだけでも3万社もあり、やはり数の多い八幡系の神社(宇佐神宮)と合わせれば、全神社の過半数になる、どちらの成立にも秦氏(新羅系渡来人)が絡んでいる(p289)

2019年5月6日

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2019年4月29日
読了日 : 2019年5月6日
本棚登録日 : 2019年2月17日

みんなの感想をみる

ツイートする