最強の成功哲学書 世界史

著者 :
  • ダイヤモンド社 (2016年2月5日発売)
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歴史に学ぶことは大事なことだと常々感じています。私達がいまいるのは、多くの偉人達が下した決断の結果にあると思います。

この本では人生を切り開く成功法則として、日本のみならず世界に目を向けて、15のテーマ・23人の偉人達がどのような意思決定をしてきたかを紹介しています。重要な局面では、どこの国でも同様な決断がされてい様で、この本で書かれていることは、ビジネスの世界でも大いに活用できると感じました。

本の帯に書いてあるように、この本をただ読むだけで終わりにするのではなく、どのようにすれば「偉人の叡智を武器とできるのか」を考えながら過ごしていきたいと感じました。

以下は気になったポイントです。

・人生というものは不思議なくらい、悪いことの後に良いことがある。しかし多くの場合、人は失意の中にあっては自分の不幸を呪うことに心が奪われてしまって、幸運が舞い込んでいることに気が付かない(p31)

・ひとつの夢や目標に向かって努力するのは当たり前、問題はその夢が破れたとき、失意に打ちひしがれることなく、すぐに気を取り直せるか、次に向かって努力を続けられるか、ここが人生の岐路となる(p35)

・ナポレオンの栄華から没落を見ると、成功というものは周りの人の協力なくしてありえない、ということを教えてくれる(p37)

・努力が無駄になることはない、努力することを止めた瞬間にそれまでの努力が無駄になるだけ(p42)

・気の滅入るような期間の過ごし方(人生のゲームの休憩時間)こそが次に飛躍できるかを決定する(p44)

・成功の対義語は、「行動を起こさぬこと」行動を起こさなければ、成功できないどころか、失敗すらできない(p99)

・どんな優れた人物であっても、どこかしら劣った部分はある。それを素直に認め、優れた人物に頭を下げて教えを請うことができるかどうかが、人間の「器」「度量」の分かれ目となる(p106)

・実現が極めて難しい夢を叶えた人たちを調べてみると、彼らは必ず他人とは違った努力をし、他人とは違った価値観を持ち、他人とは違った行動をとっている(p117)

・ハンニバルは、歩兵9万・騎兵1.2万・軍象37頭を、2万・6000・3頭に減らした。通常、軍とは兵の3割を失えば「全滅」(軍として機能しなくなる)、5割で「潰滅」と表現される。それでも行軍できたのは、ハンニバルが兵に信頼されて慕われていた証拠(p119)

・うまくいかない人は、物事を深く掘り下げて考える、習慣がないことが挙げられる。そのため、すべてにおいて物事の定義が曖昧となり、努力が分散され、成功を遠ざけることになる(p134)

・戦略:最終目的を達成するための大まかな計画方針、作戦:戦略を成功に導くための個別的・具体的計画、戦術:作戦を成功に導くための現場での手段・方術をいう。これを現代の会社に喩えると、戦略:幹部会議で経営方針が決定、作戦:その方針に基づいてプロジェクトの立ち上げ、戦術:プロジェクト達成にむけて現場が臨機応変に対応、となる(p237)

・1863年、デンマークが、シュレスウィヒ・ホルシュタイン両州の併合宣言を行った、ビスマルクはこれを奪取することに成功したが、この両州をめぐって、プロシア・オーストリアの主張は紛糾し、ついに全面衝突となった。当時のプロシアとオーストリアでは、国力に大きな差(オーストリアが大国)があった。(p148)

・首相ビスマルクは常に「戦略」を見ながら指示を出し、陸相ローンが「作戦」を下し、参謀総長モルトケが「戦術」で最善の成果を出した、この3人が一丸となり、それぞれが己が領分で才能を如何なく発揮することで、ドイツ統一が成し遂げられた(p156)

・上杉謙信は、15歳で初陣を果たしてから49歳で亡くなるまで、その生涯戦績は71戦中、61勝2敗8分という凄い勝率。この数字は戦国大名の中でナンバーワン、信長は、49勝15敗4分である(p159、163)

・上杉謙信に欠けていたものは、才でもなく、運でもなく、彼の才を正しい方向へ導いてくれる優れた軍師の存在であった。偉大な業績を挙げるものの側には、必ず、その才を導く助言者がいる(p160)

・見る眼のない人にはそれが危機に映るが、優れた洞察力を持っている人はそこに隠された好機を見逃さない。それは、一見不利に見える側の心理状態にかかっている、まだ勝負を諦めていないか、依然として勝機を探っているか(p170、172)

・ローマが生まれたばかり、北アフリカにカルタゴがあったころ、燦然と輝いていたのが、アケメネス朝ペルシア帝国、その支配地域は、オリエント世界(西アジア)を中心として、東は中央アジアからインダス川、西はアナトリア半島からエジプトまでの広大な「世界帝国」であった(p175)

・本物の悪党というのは、顔や表情は見るからに温厚そうである、物腰はやわらかで、その口は思いやりのある言葉しか発せず、その手で慈善事業を行い、誰からも「いい人」と評価を受けている人である(p177)


・満州など捨ててしまえ、という声に対して「それでは10万の英霊に申し訳が立たぬ」という一言で圧殺され、ついには「300万もの英霊」を出すことになった(p216)

・無能な怠け者には使い道がある、だが「無能」と「働き者」の組み合わせだけはダメ。使い物にならないどころか、生かしておけば害しか及ぼさないから殺すより他ない、というのはドイツのゼークト将軍の言葉(p223)

・ペタン将軍の取った兵法は、どんなに時代が移り変わり兵器が近代化し、戦術が変わったように見えても基本精神は通用する。1)わざと敵に弱点をさらけだし、そこを攻撃させる、2)あまり抵抗せず、わざと兵を退かせる、3)敵軍がさらに押してきても敵軍の包囲体制づくりに尽力する、4)敵軍が気づいたときには包囲が完成し、潰滅する(p225)

・人間は歳を取ればとるほど、新しいものを受け容れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来に通用すると思い込む、それが老害である(p227)

・戦力集中とは、その代償として強化一点以外のすべての部分は弱体化する、一点で勝利を収めたとしても他の各部分で全敗し、全体では負けてしまうのではという思いが残る。しかし、実際にはその心配はほとんど杞憂、不思議な事に戦力を集中すると、その強化された一点だけでなく、全体としても勝利することができる(p235)

・豊臣秀吉は知恵者として名高く、墨俣一夜城、金ヶ崎撤退戦・中国大返し、等の逸話を残しているが、意外にもそうした面白みのある戦いは、ほとんどなく、持てる兵力を出し惜しみせず大軍で押し寄せて、敵を圧倒して破っている。5万の島津に対して、20万での九州征伐、8万の北条に対して、20万での小田原征伐(p237)

・大帝国は今まで多くあるが(歴代の中華帝国、ローマ帝国、ナポレオン帝国、アケメネス、アレクサンドロス、ウマイヤ朝等)、アジア・ヨーロッパ・アフリカ大陸の要衝を抑え、13世紀末から20世紀初頭まで600年以上にわたって君臨したのが、オスマン帝国である、日本では、鎌倉幕府・室町、戦国時代、安土桃山、江戸幕府、明治時代、大正時代に相当する(p259)

・常に状況を見ながら、臨機応変にやり方を変えることを考えることができる者だけが、栄光を掴むことができる(p289)

・勝利の秘訣とは、毎回毎回「次」のことは考えず、「今」に全力を出し切ること(p276)

・城を護る人の心がバラバラでは、どんなに堅牢な城であろうとも、何の用もなさない(p289)

・歴史の流れに逆らうものが必ず滅ばされるように、人生の流れに逆らうものには、たちまち不幸や災いが襲いかかり、その身を滅ぼすことになる(p291)

・ヘラクレイオス1世以前は、東ローマ帝国は「帝国」としてローマの理想を追求していたが、彼以降は「地方政権」に落ちぶれ、ローマの理想の追求も非現実化した。そこで、彼以降を「ビザンツ帝国」として区別する(p299)

・兵法は、敵を殲滅するよりも、自軍の消耗を最小限に抑えることであるが、欧州人はこれが理解できず、敵のせん滅を繰り返した結果、二度にわたる総力戦(世界大戦)で、自滅していった(p305)

・大坂夏の陣で豊臣陣営が総崩れして落城したのは、「冬の陣で濠を埋めておいたから」というより、「欠囲の陣:城の北側をがら空きにしておく(欠囲)こと」による効果が大きかった(p318)

・仕事を強制するのではなく、意義を与え競わせる、人の上に立つ者の心得をすでに理解していた秀吉は、その手柄を丹羽長秀に譲ることも忘れなかった、何よりも怖いのは嫉妬だと理解していた(p321)

・スズメを撲滅した中国では、その結果、天を真っ黒に染めるほどのイナゴの大軍が発生し、全国で数千万規模の餓死者を出す大飢饉を招いた(p336)

・自分の懐に入れていておいてもどうせ消えゆくのであれば、消えてしまう前にどんどん人に感謝を込めて与えてしまう、そうすることで必ず自分の下に何倍にもなって戻ってくる(p385)

・日清戦争の勝敗の行方は、物資・兵員を満載した輸送船を海上で叩くこと、日本艦隊は清の輸送艦隊を索敵でき、撃破できた(豊島沖海戦)、そして黄海海戦では唯一優っていた「速力」を活かして勝つことができた、護衛艦「比叡」は、巨大戦艦「定遠」「鎮遠」のど真ん中に突っ込んでいった、大きな変化を起こすには、誰もが予想だにしない、意外性のある行動であればあるほど良い、比叡の行動はそれにあたる(p397、399、400)

・関が原の戦いにおいて事実上の総大将であった、石田三成には人望が無く、側面の小早川・背後の毛利、長曾我部、そして正面の島津も日和見であった。皮肉なことに、動かなかった、長州・薩摩・土佐が300年の時を経て維新勢力として立ち上がった(p409)

・知識の蓄積(インプット)は、あくまでもスタート地点に立ったに過ぎない、それをいかに実践(アウトプット)して、試行錯誤の中から、言葉で得た知識の真の意味を体感し、血肉とするか、そこにかかっている(p413)

・15の成功法則で最も難しいのは、学びて思わざれば即ち罔(くら)し、である。だからこそ、これを実践できる者は確実に「大いなる成功」を遂げ、名を残すことができるのであろう(p428)

2017年9月10日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2017年9月4日
読了日 : 2017年9月10日
本棚登録日 : 2017年8月6日

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