おはようございます。
午前2時前からの朝活で、ようやく読破しましたので書評を書いてみます。
といっても、本書の内容に関しては非常に前提知識如何で解釈が異なるので、何か突っ込むことはできません。
内容の紹介・感想にとどめます。
本書は、広島に投下された原子爆弾の原理を確立し、アインシュタインとも共同研究を行っていた物理学者のデヴィッド・ボームと、南インド出身の孤高の知識人クリシュナムルティが、1980年に行った対話集です。
「時間の終焉」というタイトル通り、人類が辿ってきた区別や分裂、葛藤や闘争、破壊の歴史は、そもそもどこかで人類は進路を間違えてしまっており、その一つの原因が「時間」の認識を創ってしまったこと、またそれによって人がよりよい何かに「なる」「なりたい」という発想の根拠を与えてしまったことにある、と説いてます。
そしてそこから派生して、人間の性質・個人と社会の関係・思考・死・洞察力・宇宙秩序に対して全く新しい解釈を進めていきます。
その中心となっている問題意識は、世界が「共生」していける可能性はあるのか、自己中心的な活動パターンを打破することはできるのか、できるとして、それを広めていくことはできるのか、ということで、まさにグローバル化があらゆる議論に影響を与えている現在に不可欠な示唆を与えてくれていると思います。
直近で特筆すべきと思うのは、ボームがこういった研究の果てに世に出した概念の「ダイアローグ(対話)」が、原理的にはいくつかのチャネルで引き継がれ(たように見え)、違う名前ではあるが徐々に影響力を増している(ように見える。自分には)ことです。
例えばベストセラー「最強組織の法則」「出現する未来」で知られるピーター・センゲは、その著書の中で対話の有効性を高く評価しているし、共著者のジョセフ・ジャウォースキーは、別の主著「シンクロニシティ」にも書いている通り、その研究中で実際にボームに会い、重要な示唆を得たシーンを事細かに記述している。センゲとの関係も、ジャウォースキーがボームに影響を受けてスタートさせたリーダーシップグループに参加して以来のことでした。
本書は「どうすれば~になれるか(至れるか)」という発想自体を否定することを主張しているため、読んだからといって何かのセオリーが得られるものではありません。
ですが、この発想にまでは至っておかなければこれから先始らない、という気にさせてくれます。
とても頭の良い、本当に人類の行く末を案じた2人だから
こそ進められる議論を楽しみましょう。
ボームとクリシュナムルティはこう説いています。
『人々は、日常生活の中で彼らに実際に影響を与えるものこそが、本当に必要なものなのだと感じているのです。彼らは、「こういった退屈な一般論にはまったく関心がありません」と言うのです。
私たちが話しあっていることは日常生活で間違いなく役立つのに対して、日常生活の中にいるかぎり、その多くの問題を解決することはできないのです。
~
問題を解決するためには、個別的なものから一般的なものへと移行する必要があるのです。』
- 感想投稿日 : 2014年5月6日
- 読了日 : 2014年5月6日
- 本棚登録日 : 2014年5月1日
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